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Web誌友会 板/2

3573復興G:2013/12/29(日) 06:59:25 ID:AB6RqYXc

 おはようございます。

 >>3572で、「孫子の兵法」 について触れましたが、孫子については、前に <「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板> に書いたことがありました。読み返してみると、面白くて、なかなかいいことが書いてあるなあと、自分で感心しています。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1311411528/?q=%C2%B9%BB%D2

 その一部を再掲載させていただきます。

          ○

 『孫子』は、「生きるか、死ぬか」の瀬戸際にあって、どう戦って勝つか、ということを前提とした戦略を伝える書です。まさに、命がけの戦い。負けは死を意味します。だからこそ、絶対に勝たなければいけないんですね。

 生長の家も、ある意味で今、「生きるか、死ぬか」の瀬戸際にあるとも言えるでしょう。だから、『孫子』がとても参考になると思うのです。

 孫子は、この兵法書の中で、「軽々しく戦うな」ということを言っています。たとえば

 「兵は國の大事にして、死生の地、存亡の道なり。」

 という一文があります。これについて、『孫子の至言』の著者田口佳史氏は、

<「戦争というのは国の存亡を分ける重大事である」とし、だからどう行動するかについては、「察せざる可からず」 と言っています。この 「察」 の字は、下に 「示」 とありますね。これは神棚を表し、上の部分は手で肉をお供えしていることを意味します。したがって、神棚の前で雑念のない真っ白な心で自分自身に問いかけなさい、公平無私な判断をしなさい、というのです。「戦いというのは生きるか、死ぬかの大事なのだから、軽々しくやってはいけませんよ」 ということです。

 私たちはときに、どうでもいいことで争うことがあります。命を取られるほどのことはないからいいではないかと言われればそうですが、無用の争いはやはり避けたほうがいい。負ければ、心身の消耗が激しく、命を縮めることにもなりかねませんからね。

 どうしても争わなければならないにしても、絶対に勝てるのか、勝つことの意味は何なのか、といったことを熟慮する必要があるでしょう。

 争い事を前にしたら、むやみやたらと戦いに打って出るのは一番の愚策。命を損なう危険も視野に入れて、慎重に考えなければいけないのです。

≪ 百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。(謀攻篇)

 凡そ兵を用ふるの法、國を全うするを上と爲し、國を破るは之に次ぐ。≫

 ――「国を全うする」 というのは、自国はもちろんのこと、敵国をも無傷のままに勝敗を決することを意味します。

 それが一番上等な戦いで、勝ったとしても敵国に損害をおよぼすような戦い方は褒められたものじゃあないというんです。

 どういうことかと言うと、戦争に勝つことは敵国を占領することが前提ですから、被害が大きければ大きいほど復興が大変です。その任を負うのは戦勝国のほうで、「本当に勝ったんだろうか」 と思えるくらい、戦後の復興に莫大な費用とエネルギーを要するのです。

 そればかりか、これでもかというくらいの攻撃をすれば、多くの人を殺すことになります。当然、負けた国の人々からものすごい恨みを受けるでしょう。

 だから、敵をこてんぱんにやっつけるのは、上等な勝ち方とは言えないのです。>
<後略>

 ──以上は、 『孫子の至言』(田口佳史著)からの抜粋でした。とても参考になる至言ではないでしょうか。

 イエスの言葉では、マタイ伝第10章39節に

 「生命(いのち)を得(う)る者は、これを失ひ、我がために生命(いのち)を失ふ者は、これを得(う)べし。」

 という言葉もあります。「永遠の生命」(永遠のキリスト)のために現象の生命を献げる者が、永遠の生命を得る。イエスは、我れを愛するなら羊を飼え、とも言った。「羊を飼え」 というのは、生命の兄弟である、神の子である隣人を愛せよという意味だと、谷口雅春先生は 『ヨハネ傳講義』 でお教え下さっています。


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