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Web誌友会 板/2

2788復興G:2013/09/17(火) 17:23:46 ID:AB6RqYXc

さて、>>2782 で 山本富士子さまは、

>>私は 「今のおしえ」 問題について、雅春先生だったら、なんとお答えになるだろうか? と考える時に思い起こす本に、「善と福との実現」 の中で 恵美子先生の離婚問題が書かれてあるご文章のなかに、ある信徒がみ教えを実践すべきではないかといわれたことに対して
先生は信徒の誰がそこまで実践したものがあろうかと答えていました。

そして、もしかしたら雅春先生は、全面的に雅宣総裁についていきなさいというのかなとおもったりしてしまいます。

☆しかし私は幸せな気持ちで誓願券を記入することができないのです。

全然変わってしまった文章をまごころこめてかくことができないのです。

そして、それを書くことをことわることもできないのです。わずか数枚のわりあてを、上手に断ることができないのです。

実相完全円満のすばらしさ(講話)に感動する心とは別に、こんなささいなことにこだわる自分があるのです。<<

――と書かれていましたね。


誓願券については、この板の>>2586>>2625あたりでいろいろ論議してきました。私は、>>2608のように書いて提出しました。

ユタカさまが>>2604で言われているように、
「教化部から文句が来たら、返して下さい、それでは提出しません とハッキリ言おう」
を実行するつもりです。

でも、これにはかなりの決意と勇気が要ることです。

山本富士子さま。

どうぞ、強くなってください。

≪神のつくり給ひしこの世界には一切の悪もなく罪もない、吾々はあるべきやうにあらしめられるべく、内部の神の催しによつて動かされてゐる。自分で 「かう生きよう」 と力むときは、そのままがくだけ、神の催しがくだける。來るもの、催して來るものは悉く有り難いものだけである。

 旧(ふる)い道徳的の眼をもつて人を批判してはならない、眞に民主主義の宗教は、「人を斯くあれ」 と縛る宗教ではない。各人の内から催して來るところの催しをいづれも神の催しであると拝んでそのまま受けるとき煩悩もそのまま菩提である。

 悩みは 「悩み」 と云ふ實在があらはれてゐるのではなく神の實相があらはれようとする陣痛の如きものである。悩みを通じて實相が尚一層輝いて顯現する。≫

 のですからね。

 あなたはそのまま、神様の自己実現なのです!

 よろこびましょう!


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