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3753 a hope:2014/03/08(土) 17:57:12 ID:cEpBaIdo

第11巻 萬教帰一篇 「はしがき」 より抜粋 p1 5行目〜

今まで仏教とキリスト教は教えの立て方が異なるので、全然教義の上で和解されないものだとされていたのが、現象と実相とをハッキリ区別する本書のとき方で完全に一致し和解することができるようになったのである。

それは『創世記』の天地創造の章に「神その創造(つく)りたるすべてのものを観給(みたま)いけるにはなはだ善かりき」と書かれているいっさい皆善(かいぜん)の実在界は、『法華経』の「自我偈(じがげ)」に「衆生劫尽(しゅじょうこうつ)きて、この世(唯神所現の現象界)の焼くると見る時も、わが浄土(実在界)は安穏にして天人常に充満せり」と書かれている場合の実在界なのである。

神は実在界の創造者であり、現象界は「衆生の見る世界」すなわち唯心所現の世界である。だからキリスト教や新道の宇宙創造と、仏教の無明縁起説とは、決して衝突するものではないのである。

キリスト教のサタンは結局、仏教における「無明(まよい)」の人格的表現にすぎない。「無明」によって創造(縁起)されたる現象世界だけを観て、天国を説き、浄土を説こうとするから、天国は地上に出現しないのである。

イエスが「サタンよ去れ!」といったのは、なんじの「無明」の心の帳(とばり)を除け!
そこに浄土実現し天国現前せることを見いだすであろう、という意味である。まことに悟りをひらいて今ここにこの金剛の浄土を見いだすときは、衆生の阿鼻叫喚(あびきょうかん)の中にいるといえども、その苦悩から現実に逃れるのである。


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