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Web誌友会 板/2
233
:
復興G
:2013/02/16(土) 21:55:36 ID:AB6RqYXc
なお、もう少しテキストの続きを謹写させて頂きましょう。
テキスト 『生命の實相』 第2巻 第5章より<5>
以上の説明によってわれわれがみんな神の子であり、われわれのうちには無限者を宿していることがおわかりになったことだと思います。
「無限者」なる神は絶対であって一つであります。この点はキリスト教で説くところが真実であります。
ところが日本には「八百万の神々」といいまして無数の神々がある、仏教でも護法の神として、持国天(じこくてん)だの、毘沙門天(びしゃもんてん)だの、帝釈天(たいしゃくてん)だのといって多数の神々があります。一つの「無限者(かみさま)」のみを説くキリスト教徒にはいろいろの神々を説く教えが迷信だと思えるのも無理がないのであります。誰でもこの一神か多神かの問題にはつまずきがちであります。そこで神を知るには一神か多神かの問題をまず解決してかからなければならないのであります。
この一神か多神かの問題を解決するには「神」という言葉の意味をはっきりさせておかなければ混同するのであります。
日本語でカミと申しますのは、第一に創造神のことをカミと申すのであります。この語源は「醸(か)む」といって「上」と「下」とが和合すること、天と地とが結び合うこと、陰と陽とが触れ合うことによって事物を生み出す愛の働きをいうのであります。歯で噛むということも上下相会するという同じ語源からきたのであります。
ありとあらゆるものを陰と陽との和合、すなわち愛のはたらきによって造り出し給う霊妙なる「創造の原理神」が第一義のカミであります。
第二に、われわれがカミと申しますのは「輝く身」すなわち一つの発光身をいうのであります。
一燈園などでは「お光り」といっています。
仏教では「不可思議光」といったり「無礙光如来(むげこうにょらい)」といったりしています。
キリスト教では『創世記』に「神、光あれといい給いければすなわち光ありき」と書いてあるのがそれであります。
この神は本来それは真如法身(しんにょほっしん=観自在原理)そのものであって相(かたち)がないのであります。ただ救うてくださいと呼ぶ者があるので、真如界から救いの求めに応じて発光身となって観世音菩薩のごとく機に応じていろいろの姿に顕現せられる如来であります。
キリスト教でいうエンゼル(天使)の多くはこれで、唯一根元神から投げかけられた「救いの霊波」が形体化して顕現したものであります。
みなさまが霊眼に同時に御覧になった「生長の家の神さま」もこの「救いの霊波」が形体化して顕現したものであります。
いずれも元は一つ、そのお働きによって名前が違う。
たとえば観自在菩薩というのは観察自在のお働きをして衆生を教化(きょうげ)になるので、そうお名前を申し上げ、阿弥陀如来というのはアミダすなわち無量寿無量光の働きとあらわれ、死後までも衆生を摂取し給うからそう申し上げ、天照大御神と申し上げるのは「渾珠(あま)」すなわち「宇宙」を、限りなく遍照し給い一切のものをはぐくみ育てたまう働きとなって顕われていたまうからそう申し上げ、「生長の家の神」というのは、狭義においては家々、家庭家庭を生長さす一つのおはたらきであり、広義においては「宇宙(いえ)」全体に満ちみちている普遍的真理を世界に宣布し給う救済力として顕現になっているから、そう申し上げる。
神そのものの本質本体からいえば一つでありますが、その救いの働き(すなわち霊波の種類)からいえば異なるわけでありまして、霊波が異(ちが)うから霊眼で見てもお姿が異なるわけであります。
ちょうどそれはもとは一つの太陽光線でも、プリズムで光を分散させて見れば七色にも八色にもなり、そのおのおのの光波は別々の作用を人体に及ぼすようなものであります。
第三にわれわれがカミと申しますのは幽(かく)り身の略称であります。すなわち肉眼で見える体(たい)を備えてはいないけれど、体(たい)がないのではなく幽微(かすか〉な身を備えているのであります。
この階級の神の種類は千差万別であって、低きものにはまだ悟りを開かない人間の亡霊や動物霊などがあり、高きものにはズッと高い神界に住む神格を得た人霊があるのであります。
仏説ではこの世で善因を積んだものは「天」に生まれると申しますが、この諸天にいます神々はすべてこの幽り身に属する神々であります。
<つづく>
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