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Web誌友会 板/2
5815
:
トキ
:2015/09/29(火) 10:21:31 ID:ksUeryWU
少し時間がないので、簡単に。
例えば、中華料理店に入って、餃子を注文したのにラーメンが出てきたら、
「これは違うよ。」と普通は言います。そう指摘することは、別に、他人を
攻撃する事にはなりません。ましてや、人間の実相を見ない事でもありませ
ん。それに対して、中華料理店の店主が、それに応じないのなら、それを説明
する義務が生じます。
社会通念という観点からは、説明をする義務の所在を考える事が大事だと
思います。
現在の教団の方針は、伝統的な谷口雅春先生の解釈から違っています。
当然、それに納得しない人は、「現在の教えは、過去の谷口雅春先生の教え
とは違っている」と指摘します。これに対して、教団は、「いや、これは
谷口雅春先生の教えを現代風にアレンジしたもので、基本的な部分は同じ
です。」と抗弁をします。この場合も、教団側は信徒や社会に対して、そ
れを変更した理由をきちんと説明をし、納得してもらう義務が生じます。
教義の解釈の大幅な変更を含めて、現在の方針の変更の多くは、教区の
人間の預かり知らないところで決まる事が多いです。これに納得しない人
が疑問の声を上げる事は、別に普通の事で、悟りの云々とは関係はありま
せん。
生長の家が、あくまでも谷口雅春先生の教えが基本である、というのな
ら、教団側はこの義務から解放される事はないと考えます。
疑問様のなすことは、具体的に、現在の方針が谷口雅春先生の教えと
外れていないと説明することだと思います。
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