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Web誌友会 板/2

2855復興G:2013/09/21(土) 17:57:53 ID:AB6RqYXc

>>2854 のつづき>

 坂下夫人――わたしはキリスト教の家に生まれ、生まれつきのクリスチャンでございましたが、先年嵯峨の大覚寺の断食道場へいって断食修行したことがこざいます。そこでは断食中修行者が毎日仏教のお経をあげに行くところがある。

 ところがわたしはクリスチャンでありますから仏教のお経をあげるということを、どうしても自分の心のなかに許さないものがあるのです。それで、とうとうそのお経をあげるお堂までわたしだけ行かないことにしましたが、そのために周囲と自分とが調和しない。

 同じ人間でありながら、兄弟のような感じがしない。敵意というほどではなくとも、水と油との混ったような疎隔の感じに苦しめられたものです。

 そういうわけで心が乱れた結果でありますか、その断食修行はあまりわたしには効果がありませんでした。

 谷口――宗教が異なるために、その宗教の名によって人間がたがいに敵意を感じなくてはならないというのでは、その宗教が本物ではなく、かたよったところに執着している教えだということになるのです。それではすべての人間を和解さすことができない。すべての人間を和解さすのが本当の宗教の目的ではありませんか。

 坂下夫人――わたしどもは羽仁もと子さんを主宰とする 「友の会」 の会員なのでこざいますが、羽仁さんがキリスト教であるがために 「友の会」 の集まりは、キリスト教の祈りで始めるということになっていたのでありますが、

仏教の方にはキリスト教の祈りについてゆくことはできないといわれる方もありますし、そのため常に問題が起こって、阪神の友の会ではキリスト教の祈りは止めにして、われわれは宗教団体ではない、家庭改善と社会事業の団体であるというので、何教の方もはいっていただいているのでありますが、

わたし自身顧みましても、わたしが嵯峨で断食しました時には他宗の祈りにはどうしてもついてゆけない苦しみをしみじみ味わったのでございますから、仏教の方がキリスト教の祈りについてゆけないのも無理はないと思ったのでございます。

 だんだん生長の家でわからせていただきまして、仏教といっても名前は異なってもキリスト教とちがうものではないということが悟れてきまして、他宗の方に対しましても少しずつ広い気持にならせていただきましてありがたいと思っているのであります。

 谷口――「友の会」 の指導精神が、生長の家の万教包容的な信仰になられますと、全体の調和が.とれて最もよいと思うのであります。こうして、坂下さんのようにキリスト教の人でも救われるが、仏教の人でも救われる。
 (『生命の實相』 第4巻 p.97〜99)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――ところで私は、祖母が熱心なクリスチャンでした。そのことは前に、>>2501で書いたことがありました。

 谷口雅春先生は、

 ≪クリスチャンの先祖がある家系では、精神病者とか、小児マヒとか、癲癇(てんかん)とか、医学で原因不明な病人が出る率が高い。

 それはキリスト教が日本に移入されたのがきわめて近代であるために、他の祖先の霊魂たちがキリスト教というものを知らない。神道とか、仏教とかの信仰を持っていて、耶蘇(ヤソ)という名前を聞くだけでも嫌いだというふうな、異教を毛嫌いする霊魂たちが先祖に多いので、霊界で一緒につきあってもらえず、さびしいから子孫をたよって子孫に憑(かか)って来ることがあるからである≫

 とお教えくださっています。

 私も思い当たる節があるので、これはどうしても、キリスト教と仏教の神髄が一つであることを私自身がはっきりと悟り、先祖にそれを伝える供養ができるようにならなければと、真剣に学び精進してまいりました。

 そして、結果は現れてきたと思っています。

<つづく>


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