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Web誌友会 板/2

3649 a hope:2014/02/03(月) 09:37:21 ID:tLWd4hcY

>>3648 レンゲソウさま

わたしは何か月か前に、映画「終戦のエンペラー」を観たのですが、あれもたしかアメリカが制作した映画ですよね?
天皇が終戦時にマッカーサーと対談した場面が最後の方にありましたが、その時のお言葉がまさに「神の御心」「一切者の自覚」から発せられたお言葉でした。

その内容は、雅春先生の『秘められたる神示』の中の 君民同治の神示講義に詳しく書かれていて、
わたしは以前金木犀さまが謹写してくださったものを拝読しとても感動したのを思いだしました。


http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/710

<<…日本の歴史は、常に時の権力階級が我の力が行き詰まっては、天皇の方に振り向き、そこから神智が実現して正しき道に帰るということが繰り返されているのであります。それですから、大東亜戦争の末期に於ける御前会議に於いて、誰も意見をのべる者がなくなった時、ついに天皇は「ほかに誰も意見を述べる者がないならば、私の意見を述べよう。私の身体はどうなってもよいから、この上国民を戦争の惨禍の中に苦しめるのは見るに忍びないからポツダム宣言を受諾して戦争をやめる」と仰せられ、その後、天皇はマッカーサー元帥を訪問せられて、
「戦争の責任は皆私にある。国民には責任はない。私は絞首刑をも覚悟している。皇室財産は司令部の処置にまかせる。私の一身はどうなってもよいから、国民をどうぞこれ以上苦しめないで頂きたい」と仰せられたのである。「無にして絕對であり、一切の主である」ということは、「無」でありながらも、責任を回避するということではない。「一切の主である」とは「一切の責任は自分にある」との自覚である。「無」であるがゆえに神聖であり、一切の責任を自己に背負って自己が一切の者に代って苦しもうとする愛の深さゆえに天皇は神聖であるのである。>>

やっと見つけましたので、もう一度講義の全文を拝読しなおしてみたいです。

レンゲソウさま、わたしはレンゲソウさまのお探しのご本に関しては情報がありません。
どなたか、ご存じの方はぜひ教えてくださいね。


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