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Web誌友会 板/2
5594
:
島津綾久
:2015/07/02(木) 15:53:28 ID:???
『聖道へ』は確かに、気分の悪くなる書です。特に『生命の實相』を読了した方ならば、尚更です。雅春先生は『神を審判く』を執筆されますが、同書の元となったのが『聖道へ』ですものね。まあ、神はイルけど、救ってくれるとは限らないよ・・・・・そんな、「人類への死刑宣告」(※)めいた書なんで、a hopeさんは気分を悪くされると思います。
でも・・・・・・「でも」な話を以下。
でも、読んで頂きたいんですがね(笑)
いや、この、『聖道へ』を読まれずにクライマックスを迎えられるのはたとえば、「桶狭間の困難を読まずに信長伝を読むようなもの」ですし、月9ドラマに譬えれば男女の危機の巻を視聴せずにいきなり、最終回を見るようなモノです・・・・・・もったいない、そんな感想は持ちますかね。
とは云え、確かに、気分の悪くなる書です。特に『生命の實相』を読了した方ならば、尚更です。『聖道へ』は無明縁起説なんでして、雅春先生の御主張は(あくまでもこの時点は)「人間は救われるかどうかは決まっていないよ」というモノです。かなり売れて印税は入ってきた『聖道へ』ではございましたが、雅春先生の心中はまったく晴れていなかったのも、ムベなるかな・・・・
拜
<註>
※ 「人類への死刑宣告」な『聖道へ』
死刑宣告とまで書いちゃいましたが、とは云え同書にも後の聖典のもととなる思想も認められます。たとえば実相を「本質」と『聖道へ』内で書かれて雅春先生は、一元の神までは肯定しつつあったんですよね。その事は認められます。ただし、この時代の雅春先生は「善一元の神」までは未だ、御認めになられておられませんよね。死刑宣告は大げさかもしれませんが、まあ、この時代の雅春先生の思想は「無明縁起説」といえましょうか。
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