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Web誌友会 板/2

3115復興G:2013/10/08(火) 10:56:28 ID:AB6RqYXc

 テキスト 『生命の實相』 第5巻の 「序詩」 として掲載されている 「天使の言葉」 に、あらためて感動しています。

     * * * * * * *

  ……さて天使の言葉(みことば)はのたまはく――
  われは完(また)き神の啓示者なり。
  神の與へ給ひしところのものを
  吾れも亦汝らに與へん。
  神の語り給ひしところのものを
  吾れも亦汝らに語らん。
  吾れは創造主(つくりぬし)より遣(つか)はされたる者なり、
  吾れは創造神(つくりぬし)の道(ことば)なり、
  吾れは創造主(つくりぬし)の波動(ひびき)なり。
  吾れは創造主(つくりぬし)より來りて汝らを言葉にて照り輝かさん。
  創造主(つくりぬし)の光波(ひかり)は吾れにして
  吾が光波(ひかり)の射(さ)すところ
  暗黒(やみ)なく
  病(やまい)なく
  老(おい)なく
  死なし。
  信ずる者は限りなき生命を得て永遠に輝かん。
  我は創造主(つくりぬし)の言葉なればなり。……

     * * * * * * *

 ――わが魂は、打ち震えるのを覚えます。

 そしてまた、本日 謹写掲示させて頂いた榎本恵吾先生の 『神癒の展開としての人類光明化運動』 百五に、

<< 生長の家人類光明化運動そのものが神想観そのものであり、神想観そのものが生長の家人類光明化運動そのものであるのである。神想観なるものと生長の家人類光明化運動は離れた存在ではないのである。

 ここには 「祈り」 と 「運動」 との分離はないのである。生長の家人類光明化運動なるものは神であり、神想観なるものも神なのである。それはそのまま渾(すべ)ての渾てなのである。渾ての渾てなるものをよろこびというのである。「よろこびの神想観」、「よろこびの光明化運動」 などという言葉はここから出て来ているのである。>>

 とあることにも、すごいことだと感動し、讃嘆せずにはおられません。

 ありがとうございます。


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