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Web誌友会 板/2

3832トキ:2014/04/09(水) 21:57:26 ID:CrCxN0aA
 宣宗皇帝の若いときに弟子となって、そこで修行した師匠の香厳和尚でもそうであり
ます。これは有名な和尚さんで、香厳の撃竹といって、石が竹を撃つ音を聞いて
悟りを開いたと言われる。いったい香厳和尚はそれまで瀉山和尚について修行してきた。
 しかし師についても、本を読んでもどうしても悟れない。何々経にはなんと書いてある
となかんかよく喋るけれども、そのものを直接に把んでいない。先生の瀉山から、
「書物にもなんにも書いてない、人のいった言葉の受け売りではない、自分の中から
出て来た自分の言葉で仏とはどんなものかいってみよ」と言われたが、どうしても
答えられない。つまり仏とはいかなるものか、ということが分らなかったので、いっさいの
書物を焼き捨て、もう瀉山和尚についていることも止めて、南陽の慧忠国師の遺跡に庵を
つくって、もう仏とはどんなものかということも考えずにいた。ある日、竹林の側を掃除
しておった。そうしたら、その箒に石ころが引っかかって、その石ころがコツンと竹薮の
竹にブッ突かった時に、その音を聞いた時に、竹と石と天地と自分と「一つ」-すべては
「一つ」だということがわかって悟りを開いたえらい坊さんであります。われわれが心の
耳を開いて聴けば、いたるところに先生がいるわけです。路傍に転んでいるところの石ころ
も、あの辺に生えているところの雑草も、あるいは藪に伸びている一本の竹であっても、
皆われわれが本当に心の眼を開いて見た時に、心の耳を開いて聴いた時に、そこに本当の
真理を語っているわけなのであります。

生命の実相 第11巻 195Pより謹写


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