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Web誌友会 板/2

2784復興G:2013/09/17(火) 10:13:12 ID:AB6RqYXc

>>2782 :山本富士子さま

 ご質問、ありがとうございました。

 『善と福との実現』 のご本を読み返しました。

 お気持ちは、わかります。

 私だって、迷います。ささいなことにこだわりもします。

 現象世界に生きていれば、だれでも迷います。

 谷口雅春先生も、迷われた。それは、『善と福との実現』 に書かれていますね。

 このご本を持っていない人のために、その内容の一部、私が感銘を受けたところを謹写掲示させていただきましょう。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 離婚は悲しきことであり、離縁は痛ましきことである。私にも地上の悲しみがあり、避けがたき悲劇がある。私を、天上の御簾(みす)の奥にある寳座(ほうざ)に坐つて如意自在の法悦三昧にふけつてゐる神様だと思つてゐる人があるかも知れないが、私の實相は 「神性」 であり、萬徳圓満具足してゐる 「佛」 であるが、現象の私はなほ悩むのである。みづから憐むことによつて多くの人達の悩みを知る。

 私は自分の妻と子供の病苦をみづから征服することによつて多くの人々に病苦克服の道を教へて彼らを救ふことが出來たのである。家庭苦の問題に於いても同様である。眞に体験を通してのみ悲劇が如何ほどのものであるかを知ることが出來る(悲徳)。それは私に使命的に課せられた課題だと云ふことが出來る。

 私が人生に於いて嘗める悲劇は、わたし自身がつくるものではないのであつて、神から如何に解決するかの課題として提供せられたものである。私はひとつひとつそれを解決することによつて、人間苦は斯くの如くにして解決し得るものであると云ふ具体的解決法の模範を示すべき使命があるのである。

 みづから苦しむことによつて他の人の苦しみを解決し(悲徳)、他の人に樂なる生活を開示しなければならない(慈徳)。そのためには實相を観て喜ぶ方法(喜徳)と、行くべきを行かしめ、捨つべきを捨てしめて、解放によつて相手を救ふ方法(捨徳)とがある。

 慈悲喜捨の四徳は互にからみ合つて糾(あざな)へる縄の如きものであり、時にはみづから苦しみて体験によつて苦を乗り超え、抜苦の方法を示さなければならないのである。

 私は貧苦を身みづから体験し、關東大震災にて焼け出され、眞に無一物になつてから、人より富を頂かずして神より富を仰ぎ受ける道を発見し、その道を人々に授ける事によつて多くの人々は救はれたのである。

 眞に体験を通して得たる「苦」の克服の道でないものは迫力がなく権威がない。私は養父母と新夫婦との生活の調和の道を、たがひの生活を別にして、互が互を縛らぬやうに生活し得ることにしてそれを解決したのであつた。

 人間は幾度も生れ更る世代のうちに色々の人生の体験を経なければならないのである。釈迦も過去現在因果経や本生経を読むと、色々なものに生れて來てをられる。かくてこそ人を救ふ完全な人師となることが出來るのである。

 併し、まだその頃には私には、悲しい離婚の経瞼もなければ、苦い離縁の体験もなかつた。離婚の悲しみ、離縁の苦しみに悩みゐる者は如何にしてその悩みから脱し得るだらうか。

 それは頭脳ではわかつてゐるにしても眞に悲痛な体験を身みづから体験しなければ、眞に悲痛な家庭苦に悩む者のために倶(とも)に泣き、倶に苦しみ、その苦しみから解脱する伴侶となることは出來ない。それは悲徳の足りない道學者となり勝である。

 さう云ふ道學者は、ただ離婚したならば相手の實相を拝みやうが足りないのだと簡単に批判する。相手の悲しみに同悲する心もなければ、その苦しみを眞に抜き去る慈徳もない。
   (谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

<つづく>


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