[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
4901-
5001-
5101-
5201-
5301-
5401-
5501-
5601-
5701-
5801-
5901-
6001-
6101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
Web誌友会 板/2
3489
:
復興G
:2013/12/17(火) 20:50:00 ID:AB6RqYXc
>>3486
のつづきです。
谷口雅春先生特別御講話 「菩薩、何を為すべきか」 と題されたカセットテープ(「實相研鑽会」 での御結語を収録したもの。世界聖典普及協会製作)の第1話 「伝道とは愛の実践」 を再生筆写させていただきます。「愛行」 とは何かについて、たいへん深いお話がありますので、ここに、連続して謹掲させていただきます。
(この實相研鑽会は、昭和54年頃に行われたものと思われ、『實相研鑽』 の本には収録されていません)
最初に、先生はテキスト 『信仰の活人剣』 68ページから 「仏の使命」 というところを朗読されます。以下のご文章です。(≪ ≫ の中はテキストのご文章)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
≪ 仏の使命 (『生命の實相』 第39巻より)
仏のなすべきことは何であるかというと、説法ということであります。
そう言うとおかしく聞こえますけれども、「すべてのもの言によってつくらる、言葉は神なり」 というキリスト教的立場からしましてもそうなのであります。≫
つまり、神様がコトバを出されるということは、一切の天地のものをお創造(つく)りになるということになるんですね。
≪仏教でも釈迦は 『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』 の説法を終わると、「如来(にょらい)の応(まさ)に作(な)すべき所の者は皆已(すで)に之(これ)を作(な)せり」 と言われました。≫
仏の使命というものは、説法をするということである。
成仏(じょうぶつ)するというのも、「成仏」 の 「成(じょう)」 は 「なる」 (成る=鳴る) である。
仏の実相が鳴りひびくときに、本当に 「成仏した」 ということになるわけですね。
あるいは 『法華経』 の中に、
「大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)は十劫(こう)の間道場に坐っておられたけれども成仏しなかった」
と書いてあるけれども、それは説法をしなかったからですね。成り(鳴り)ひびかなかったからです。鳴りひびくということが大切であるわけです。
華厳経には、毘盧遮那(ビルシャナ)如来が衆海(しゅうかい=もろもろの世界海)の中で、「正法(しょうぼう)を演説し給う」 と書いてある。
「正法」 とは正しい真理の法(コトバ)です。真理のコトバを説法するのが、如来の、盧舎那(ルシャナ)仏の愛行であったわけです。
僕も、毎日神想観をして――神想観というのは、これ、説法でありますよ。心の中で説法をする。
「われ今、五官の世界を去って実相の世界に入る。
ああ、美(うる)わしきかな、此の世界よ。
神の無限の智慧に満たされてあるかな。
神の無限の愛に満たされてあるかな。
神の無限の生命に満たされてあるかな。
神の無限の供給に満たされてあるかな。
神の無限の調和に満たされてあるかな。
神の無限の喜びに満たされてあるかな。
………」
――これはですね、まことに正法を説法している。
実際に実在しているところの真理を、コトバに表現して、それを伝えるんですね。
その説法が、アフリカのガーナ国まで行くわけですよ。本当ですよ。(拍手)
<つづく>
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板