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Web誌友会 板/2

1967「訊け」管理人:2013/06/13(木) 07:50:48 ID:???


>>1946復興Gさま


 ありがとうございます。長時間に渡ってのご指導を、今回も賜りました。篤く御礼申し上げます。やはり、この誌友会に参加しますと御教えの偉大さを実感致します。「さて、ところで」なんですが冒頭にて、やや余談めいた話を掲載致します。・・・昨日はお客さんを訪問後、近くの「天岩戸神社」(宮崎県高千穂町)へ行って参りました。言うまでもなく此処は、あの、天照大御神が篭られたと伝えられる、あの天岩戸を祭った神社です。・・・・・長い話を割愛しますが、ここを参拝してから「ハッ!」と気づいた(もしくは「自覚できた」)件があります。あの聖域を拝みながら思ったことは、「やはり吾々は、天照大御神の御徳に拠って生かされているのだ」と云う、事でした。これがスーッと自覚出来ました。(上手く書けませんが、自覚できたのでした。あの聖域に足を踏み入れますと、私の様なトンデモナイ男でもそんな自覚に、到ることが出来ます。w余談終了)


 さて、本題に移ります。

 と申しましても、簡潔なものです。

 この、貴ご投稿>>1946に同意致します。個人的に重要だと思われるため、以下、再度掲載させて頂きます。ちなみに以下御文章は、次の疑問文への回答として、復興Gさまがご投稿されたものです。そしてその疑問文とは、「総裁が悪だとしよう。ならば我々は、いかに行動すべきや」というものです。

 皆さんで以下、拝読致したく再掲載致します。

 
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

生長の家は、和解、大調和の教えである。

しかし、和解と妥協とは違うのである。

現象の悪と妥協してはならないのである。

妥協でない「和解」は如何にすれば可能か。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

現象は如何にあろうとも、実相は永遠に光り輝いている。
現象に如何なる対立の関係があるように見えようとも、そんなものは、ナイのである。

それは、教団派も、本流派も、共に本来の「一」に立てばよいのである。
「無」に立てばよいのである。
「中(みなか)」に帰ればよいのである。

 そのためには、『生命の實相』に還ればよいのである。
のである。

 真に、谷口雅春先生を学べばよいのである。

 其処は、既に一切が大調和している世界である。

 「一」なる世界である。

 神こそ渾ての渾て。現象はない。実相独在である。生長の家は、唯神実相を信ずるのである。

 真の中心帰一とは、「中(みなか)」より出でて「中」に帰ることである。

 生長の家の信仰は、実相独在・善一元の信仰である。すべては絶対無なる「中」のいのちから咲き出でた花である。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…


 重ねてでは御座いますが今回も、長時間に渡ってのご指導を賜りました。篤く御礼申し上げます。




追伸

 榎本惠吾先生の御文章も此処に、再度掲載致します。

○ 「どこの道場がよいのか?迷った際はどうするか?」(「研修のヒント」“はしがき”) >>1947>>1948
○ 「今起て!」に関する、榎本先生ご解釈 >>1960>>1961

 また、教団関連問題に関する復興Gさまご見解は、

○ >>1954 
○ >>1956


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