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Web誌友会 板/2

3870a hope:2014/05/01(木) 00:41:52 ID:cEpBaIdo
(つづき)
ですが、わたしが考え続けている「公案」というのは、酷い仕打ちを受けた当事者の内面のことではなくて、
「真理において納得いかないこと」に対する、信仰者の態度に関してなんです。


例えば一例ですが、個人救済することが使命の宗教団体の信仰者が、自分の権力的な立場を利用して、
立場の弱い個人の魂を酷く傷つけ、運命を台無しにしてしまうような真理(神)からかけ離れた行為をしているのに、
そんなに非道な行為であっても「中心帰一」だからと容認してしまうことが、
本当に「生長の家」の信仰者の態度なのだろうか?と疑問に感じるのです。

もちろん、内面的には、小出タケさんのように、どんなにひどい罪を犯した「人間」であっても、
最終的には許し和解するのが「生長の家」の教えであり、本人が救われる唯一の道だと思っています。

でも、今、現在、犯され続けている「非道な行為(真理から外れた行為)」を容認てしまうということが、
本当の「生長の家」の信仰者の取るべき態度なんでしょうか?ということです。

それとも、本来「悪はない」のだから、そんな「非道な行為もない」と考え、
ひたすら実相礼拝をしつづけるのが正しい信仰者の態度なのでしょうか?


わたしは、そんなことを、三年間考え続けているのです。
そして、いまだ、答えがみつかりません。。


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