したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

Web誌友会 板/2

3404a hope:2013/12/08(日) 20:16:50 ID:/9IAdiFk

>>3402曳馬野さま

<<雅春先生は後半の少女の供養により悟りを得たと説かれます、しか禅門では一見明星により悟りを得たと云われています。その一見明星の様子を己の上に体験することを悟りとします。
釈迦の悟りはどちらでしょうか?>>

とのご質問ですが、わたしは、「禅門の一見明星による悟り」に関しての知識がないのですが、
伝統さまの謹写された雅春先生の御文章をよく拝読すると、どちらもお釈迦さまの悟りだったのではないかと感じます。


以下、光明掲示板より「釈迦成道会に因みて (3367)」部分転載させていただきます。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=716

―――――――――――――

ウルビルワーの林の中で6年間苦行を続けられましたが、結局得るところなく、又山を下りて来られた
のであります。それが所謂「出山(しゅっせん)の釈迦」でありまして、『出山の釈迦像』として彫刻
とか絵などに表現せられているところの、瘠せさらばうたお釈迦さんの姿であります。

山から下りて来られた後、苦行は悟のたねにあらず、斯うお悟りになったのです。
苦しんでみたところが、本当に悟が開けるものではないんだ。
そこで一遍気持を変えようというので、尼連禅河という河に沐浴をされたのであります。

全身を沐浴せられて6年間の垢をお落しになると
綺麗さっぱりとした清々しい気持ちになられたのであります。

それが丁度12月の8日。
あたかも暁の明星が東の空に輝かしく光を放っていたのです。

(中略)

釈迦は尼連禅河で沐浴して、ゆあがりのサッパリした気分で初めて6年振にバラモンの少女から
供養を受けて牛乳のお粥をお喫りになった時にとても美味しかった。

お釈迦さんはその美味しい味はどこから来るか考えられたのであります。
そして是は物質の味ではないということが本当にお分りになったのです。

此の世界は、殺し合いの世界ではなかった、と悟られたのであります。
拝みあっているのだ、というように釈迦の心の中で「観」が転回したのでした。
みんな生かし合いの世界なのである、斯う云うように観る心が変わったのであります。

その時に、万物が本当に生命に満ち輝いて仏の生命そのものの顕現のように思われたのである。
そこでお釈迦さんは「有情非情同時成道、山川国土草木悉皆成仏」と悟られました。

情(こころ)ある者も、情なき草木も山も川も悉く同時に今、仏を成就している。
皆仏のいのちが輝いている、仏の命でないものはない。
だから「みんな一体」の世界である。斯ういう風に悟られたのであります。

――――――――――――――

「悟り」は、「小悟」「大悟」合わせて何回も訪れると言われていますから、どちらの悟りもお釈迦さまのまことの「悟り」だったのではないでしょうか?


それから、その後の曳馬野さまのご質問に関しては、よく理解できないのですが、
たぶん曳馬野さまは、雅宣先生や教団のことに関して質問されているのではないかと思います。

ですが、わたしは以前、>>3320で、

<<わたしはこれからはこちらのweb誌友会では、雅宣先生や教団の問題には触れず、真理のお勉強を中心にさせていただきたいと思っています。
曳馬野さま、わたしはこれからは批判的な発言は控えますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。>>

と、発言しています。
ですから、その件に関してはお答えしかねます。

お答えできず、申し訳ありません。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板