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Web誌友会 板/2
5870
:
トキ
:2015/10/02(金) 10:47:18 ID:Kttdv9Ec
>>5869
谷口雅春先生は、「私は教祖ではありません。みなさんと同じ一求道者です。」
と言われていました。
ただ、終戦後、公職追放で谷口雅春先生が教団の役職から解任された時期に、
、部内で谷口雅春先生をどう呼んだら良いか困ってしまい、一部の信徒さんが
谷口雅春先生を教祖先生と呼んだ事があったみたいです。が、その呼称は先生
の復帰と同時に消えたと聞いています。
生命の実相第1巻に、ある青年が神想観中に「神がかり」になり、谷口雅春先生
の執筆中のお姿が、指導神に変化した姿をご覧になられていますが、それが参考に
なるのではないか、と考えています。
私が青年会時代に接した古い直弟子の先生方も、谷口雅春先生を心から尊敬し、
愛しておられましたが、神格化したり、崇め奉るというような姿勢ではなかった
と記憶しています。
肉体人間の谷口雅春先生は偉大な存在ですが、生長の家の教祖は、あくまでも
霊的な存在だと考えるべきかと思います。
出先からの投稿なので、簡単になり、失礼をします。
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