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Web誌友会 板/2

4103a hope:2014/07/08(火) 00:26:29 ID:cEpBaIdo

>>4099 トキさま

<<釈尊は、亡くなる直前に、「自灯明、法灯明」と言われました。「自らをよりどころとし、
教えをよりどころとしなさい」という意味です。私は、この場合の「自ら」を肉体の自分で
はなく、神の子たる自己だと解釈をしております。谷口雅春先生の御意志も同じだと考えて
おります。こういう時期だからこそ、信徒一人一人が聖典を勉強する時期だと考えています。 >>

「自灯明、法灯明」・・・そういう意味だったのですね。

どんなに素晴らしい尊敬できる人であっても、肉体を持って生まれているかぎり、
その現象に現れている姿は完璧ではないのですよね。


「生命の實相」第13巻 p82 後から4行目〜

<<その宗教が偶像崇拝教である程度は他教を排斥する程度でわかるのであります。
つまり、すべて争いの第一の萌芽(めばえ)は、物質的形あるものを崇拝すること
――すなわち偶像崇拝――よりくるのであります。
すなわち「すべての罪のうち最も重きものはなんであるか」と問う人がありますが、
「偶像崇拝をもってその第一とす」と「生長の家倫理学」は答えるのです。>>


だから、最終的によりどころにできるのは、自己内在の神だけなのかもしれませんね。
その神を顕すためによりどころにするのが、わたしたち「生長の家」信徒にとっては聖典「生命の實相」となのですね。


ところで、>>4102 のご紹介の御文章は、「生命の実相第13巻 74pより謹写」とありますが、
頭注版の13巻 74pには見つからないのですが・・・

出典をもう少し詳しく教えてください。


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