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Web誌友会 板/2

1752復興G:2013/06/09(日) 11:58:48 ID:AB6RqYXc

<つづき>

>>2.26事件以降、予備役に退いた皇道派の将軍の復活を阻止しようと考えた統制派の軍閥が「軍部大臣現役武官制」を復活させ、これを徹底的に悪用して、軍部独裁を図り、日米開戦に突入していったのは周知の通り。

 陸軍上層部の狙いは、自分達の気に入らない組閣は一切認めないという事であり、組閣に不満がある場合、現役軍人から陸軍大臣を出さないと言う形で妨害した。<<

この間、昭和11年5月18日に、突如、阿部定事件」という猟奇事件が起こったが、その報道に目を奪わるように仕向けておいて、目立たないように前記「軍部大臣現役武官制」を官報に告示するという悪辣な手も使われた、というのは驚きでした。

 それから軍部(統制派)の暴走を誰も止めることができなくなり、やがて日米開戦にいたる土台となったものが「軍部大臣現役武官制」だったのですね。


 「皇道派」の決起将校たちは、当時の貧しい農民や底辺の一般庶民を救うために、「混濁の世に我れ立てば 義憤に燃えて血潮湧く」(昭和維新の歌)と起ち上がったけれども、結果は逆になってしまった。

「目的のためには手段を選ばず」行ったことは、失敗した。

しかし、大東亜戦争敗戦という大自壊作用の後に、ある意味で目的は達成されたので、決起は無駄ではなかったとも言い得ます。

「統制派」も手段を選ばず、天皇陛下の御心をも踏みにじって暴走し、結果は悲惨な敗戦となり、2.26事件を裁いた軍法会議と同様の暗黒裁判(東京裁判)で裁かれ処刑されるようなことにもなった。与えたものが与え返されるという法則通りになったとも言えるでしょう。

2.26事件は、そうした昭和の歴史の分水嶺とも言える出来事でした。


 さて、2.26事件のどこが現在の生長の家の状態に似ているか。

 2.26事件から、「今」 何を学ぶか。

 私は今日午後からリアルの誌友会に出かけなければならず、出発準備にかかる時間になりましたので、あとはまた夜に。

 ありがとうございます。


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