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Web誌友会 板/2

3266復興G:2013/10/31(木) 15:04:08 ID:AB6RqYXc

 <今月のテキスト 『生命の實相』 第5巻より謹写 つづき>

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

(p.173〜 )
 ――この 「あなたはあなたの宗教の神髄に帰れ。そこに真実の道があり、それが生長の家である」 というのは、

 「時空間は認識の形式に過ぎず、時間・空間本来なし」

 「時空間をも生み出した本源世界に、既に大調和・無限生命、無限供給、無限歓喜の実相があり、時空間の中に展開されて見えるところの現象はすべてその影に過ぎず、本来なし」

 という 「久遠の今」 に立ち還ること。

 そこにすべての宗教の神髄があり、そこに真実の道がある。それが生長の家である。

 そこに立ち還った時、

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

(p.212 最終頁)

 生長の家では「無」は「そのまま」であって、我(が)の 「はからい」 がなくなることです。「はからい」 がなくなれば、天地無限の供給の実相と波長が合うことになって、おのずから無限の供給が現象界にあらわれてくるのであります。

 天地間の生物界の実相を奪い合いとみることそのことが我(が)の見解でありまして、奪い合いを心に描いている限りは、現象界にもそれは消えません。天地間をただ、神一元の無限の供給の世界であると、そのまま信じて我見(がけん)を無にするとき現象界にも無尽蔵があらわれてくるのであります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ということになる。

 それを生活に生きるのが生長の家の生き方であると思うのであります。


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