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Web誌友会 板/2

2796復興G:2013/09/18(水) 20:16:46 ID:AB6RqYXc

>>2793 :山本富士子様。

ありがとうございます!

 私は今、明後日20日夜から始まる第17回web誌友会のテキストになるところを再読しているのですが、『生命の實相』 第4巻 150〜152頁に、次のようなご指導があります。

 歌川さんという方の体験発表についてのご指導ですが、私はこの 「痛み」 についてのご指導は、人生のすべての悩み、苦しみについても当てはまるのではないかと思いました。

 その部分を謹写させて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 歌川 (前略) わたし自身はまだ本当に健康になりきれないのです。先日も神経痛で激しく痛むものですから、『生命の實相』 の一部分を一所懸命に読んで、肉体は物質だから痛むはずがないという念を強く心に思うようにしましたが、痛みが依然として止まないので、諸方の洋裁の講習に出ますのにはさしつかえるものですから、とうとう医者にかかって治しました。

 谷口――あなたはその痛さを病気だと肯定して、その痛さからのがれようとしていられるから痛みが去らないのです。あなたはその痛いということを病気だと思いますか。一局部が痛むということは全身の血液をその一局部へ集中する動員命令がくだっているということです。

 胃痙攣(けいれん)などで激痛があったり、手足に激しい痛みを感ずる時には、おうおう脳貧血を起こすことがあるものですが、これは脳髄の血液にも動員令がくだって、故障のある一局部へ血液軍をし集中する結果、一時的脳貧血を起こすのです。

 痛みは激しいほどよく、熱は高い方がよい。痛みも熱も病気ではない。かえって病気を治す生命力が強く働いている結果です。物質なる肉体そのものは痛んでいるのではない。肉体は物質であるから本来痛覚はないというのはそういう意味です。肉体が痛んでいるのではない、心が血液に動員令をくだしているのです。

 痛むということは、われわれに対するなにか害物の襲来に防禦戦を展開している証拠で、その防禦軍の指揮官がわれわれの心なのですから、痛いときにこれは大変、大病だと思って心が萎縮すると、敵に恐怖して全防禦軍の指揮官が退却命令をくだしたのと同じである。溶菌細胞、抗毒細胞、自療修覆細胞などの兵卒どもが萎縮してしまって、敵の蹂躙にまかせてしまうことになる。そのために病気の経過が永びき、かえって痛みの期間が永びいて治らない。

 これに反してこの痛みはけっこうなことである、痛みは病気になったのではない、病気を治しているのである。盛んに防禦戦を行なって敵を早く撃破してくれと思っていると、全身細胞の総帥たるわれわれの心が少しも恐怖しないので、全防禦細胞軍の士気がふるいたち、敵がすみやかに剿滅(そうめつ)されるから、血液の召集命令たる痛みもすみやかに解除されて、痛みが間もなく治るのです。

 痛みを恐れて逃げようとすると、痛みはかえって永びく。痛みを喜び迎えるほどになると痛みはかえって早く去る。「恐るるものは皆きたる」というのが心の法則なんです。

 あなたの××炎の痛みが永びいたのは痛みを逃げようと思ったからです。しかしその痛みの頂上が来たから医者にかかって治ったといわれるが、医者にかからなくとも痛みの頂上は防禦戦の頂上だから、その次には放置しても治るのです。

 この肉体の痛みということは、一つの自分の身に近い実例であります、人生の痛み――人生では痛みといわず、悩み苦しみというのですが、この人生の悩みでも苦しみと思って逃げまどえば、いっそう苦しくなる。この苦しいのは治す働きである。いい換えれば、自分の神の子たる真性を鍛え顕わす働きであると思って敢然と受けることにすると、苦しみがそんなに苦しみでなくなんなく人生の苦しみをくぐり抜けることになるのです。
(以上、『生命の實相』 第4巻 150〜152頁より)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――肉体の痛みは病気ではなく、生命が血液に動員令をくだしているのである。

 人生の悩み苦しみは、神の子の真性を鍛え顕わす働きである。

 感謝して受け、逃げないことにいたしましょう。


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