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Web誌友会 板/2

2287a hope:2013/07/13(土) 10:25:13 ID:edEDolt2
>>2264復興Gさま

今回も、わたしの問題提起を取り上げて下さいましてありがとうございます。

わたしが「生長の家の教え」を信仰したのは、聖典「生命の實相」に魂を震わしからでした。
その後、教団の信徒となり母親教室や、勉強会、練成会などに参加させていただいているうちに、
徐々に生活のリズムが狂いはじめ、体調を壊していったのです。

雅宣先生の教えは、現象のことばかりです。
一方、『生命の實相』では、「現象なし」です。

当時は、その矛盾がわかりませんでしたからわたしの魂は混乱しました。

そのうちに、神想観をしても落ち着かなくなり、あれほど魂を震わせた『生命の實相』を拝読しても、
その意味が通じないばかりではなく、拝読するのが苦痛にすら感じてしまうようになりました。

一時は寝たきりのようになってしまい、約3年前は子どもたちも今よりも手がかかりましたから、
家族に大変な迷惑と心配をかけてしまいました。


ですから、わたしは「生長の家」で二元論的見解をすることの危険性は、人一倍わかっているつもりです。

わたしの言う、雅宣先生の二元論的見解とは、
「現象なし」「唯神実相」を口では説きながら、実際は「現象(物質)」を見ていて「人間の罪」を認めてしまっている見解のことです。

雅春先生も、「生命の實相」で二元論的見解は決して許してはならない「虚説」であるとハッキリおっしゃっていますよね。

わたしは、たとえ、それが生長の家の総裁先生のお言葉であろうと、
わたし達は、まことに「生長の家」を信仰していくためにはそれを決して許したらいけないと思います。

なぜなら、そういう見解は、人々の魂を迷わせを不幸にしてしまうからです。

その点、榎本恵吾先生は、まことの「唯神実相」を悟られていたのだと感じ安心して御文章を拝読できます。
そのご文章の放つ波動は人々に「神の子」の自覚を目覚めさせ、人々の魂を向上させる働きがあるのだと思います。


わたしの今感じていることを、素直に述べさせていただきました。

合掌。


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