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Web誌友会 板/2

5311a hope:2015/03/24(火) 23:02:14 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p164〜

谷口―― 牛乳の瓶の穢(よご)れは内側に牛乳のカスが付いているから外からいくら洗ってもそれはとれない――それはあなたのおっしゃるとおりです。現代人の経済観念は、物質は「蓄(た)めて置かねばたりなくなる」という、物質有限観という人間の「迷いの滓(かす)」が牛乳瓶の内側に蓄(たま)っているから、外側から見ればそれが搾取でもなんでもして蓄めて置かねば損だというふうにあらわれているのですが、それは心の牛乳瓶の内側に「欲ばる心」という「迷い」のカスが溜まっているからであります。

人類に欲ばり根性がなくなり、報酬がなくとも励みが出て、働いて進歩しうるように人類の多数がなってくれば、人間は金の必要がなくなる。すると金で追い廻して人間を使おうとしても無駄のことであるから、そんな馬鹿なことをする人間も無くなるのです。金に追い廻される人間、金に縛られる人間があるからこそ金で人間を追い廻したり金で縛ろうとする人間も出てくるのです。

みんな自分の心が環境に現れるのです。みんな欲ばって、人よりは余計月給を貰おう、人を押し倒して人よりは余計地位が上がろうなど考えているから、みずから長時間勤務という制度を作りあげてしまって、我と我手で自分を縛り苦しめることになったのです。人を押し倒して自分が上にあがろうなどと思っているから、月給は余計貰っても、無理をして、人間らしい家庭の楽しみも味わえず、苦しんで、自分の欲ばり根性は棚に上げて、雇い主を怨んだりすることになるのです。怨むならば自分の心ばかりです。

自分の心が変われば、そのような外界が変わってくるか、それとも自分というものとその環境というものとが調和しなくなりますから、その人は自然にそういう環境を出てもっと自由な勤務につくことができるようになるのです。そして、その環境、状態が自身の心に相応するような代わりの人間がその環境に這入って来て、そこでまたその人が、心相応に鍛えられることになるのです。何事も無駄はないのです。心相応の人が心相応の世界で鍛えられるようになっているのがこの世界であります。


滝村―― なるほど、大変よくわからせていただきました。


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