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Web誌友会 板/2
5278
:
答えてねトキさん
:2015/03/21(土) 01:11:03 ID:tPqHKCtk
>>私個人は、個人救済が基本であり、この基本を無視して国家や環境を語っても砂上の楼閣だという解釈をしています。
>>ところで、この人間の世界にいる限り、私たちは誰も現象の世界の法則から自由になる事は難しいです。これは谷口雅春先生でも同じです。
「たましいの救い」とは最も厳粛な意味での救いでありまして、救われるということはわれわれのたましいが個性をもちながらも神または仏そのものなる大自在の境地
…欲しいと思う事物はそこに現れ、欲せざる事物はそこから姿を消すというような大自在境にに達するということであります。「頭注版一巻p23」
個人救済は言葉の響きはよろしいが、a hopeさんのような原理主義的な解釈を引用文にするのであれば、救われているはずの雅春先生は大自在境に達していなくては
ならない。然るに貴女は雅春先生でも自由になる事は難しいことであるという。「引用の真理」が正しいのか、はたまたあなたの言うことが正しいのですか?
雅春先生でさえ大自在境に達していないというのであれば、どこに個人救済などありますか?
「縦には、未来世に病気、その他の不幸の芽を出す業因を蒔かない工夫をしなければならない。すなわち罪を犯さないでもこの世に生きられる工夫をしなければならない
のであります。横には現在われわれが接触する環境を浄めて、「生命」が苦痛や病気という手段を使って自衛を講ずる必要のない天国浄土のような環境をつくるように
しなければならないのであります。ところがこの環境というものが一方においては自身の念の影なれども、同時に念はまた環境の陰であって、二つ向かい合わせた鏡の
ように環境と念とは互いに影響しあうものであります。毅然とした強い念は環境の方を征服しますが、弱い、発達の程度の低い念は環境に征服せられるのであります。」
「頭注版一巻p37」
幼いたましいの唯物論を信じる中国のの人々は、自然破壊なんて何のそので真っ黒な煙をまき散らしています。日本人にして生命の実相を読んだにしてもろくすっぼ救わ
れない幼いたましいの人間が多いのであれば、自然破壊を防ぐことにより、過去の日本のように自然の中で自然とともに生きた故郷と云う言葉のイメージが生きている
世界を自然環境から取り戻すとは大事なことであると思います。
>>霊的な観点から、戦争や大災害が起きる意味が説明されています。ただ、魂の向上が目的ですから、こういう戦争や大災害という手段が必須ではないのは当然です。
「魂の向上が目的ですから」こういう言葉を言うから聞いているのです。心の清いものは災害に会うことはないというのが真理と云うから、災害に会った人は心が清く
ないのかと、あなた方は魂の進歩の為に災害に会ったと、腹の中では思うですかと。
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