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Web誌友会 板/2

2361復興G:2013/07/15(月) 22:54:09 ID:AB6RqYXc

a hope 様。

>>2293 の投稿文は、わかりにくいところがありましたが、その後のご投稿をよく読んでいたら、だいたいわかりました。

>>今、わたしは自分の使命を感じています。
それは、「生長の家の教え」で病気を克服したり、生活苦を解消したり、人間関係を改善したりした人たちがその後、使命感をもって、伝道に励まれるのと同じ気持ちなのではないかと思います。

わたしは、これから「生長の家の教え」はそんなんではないのですよ! と、声を大にして発言していかなければいけないような気がしています。<<

――この前半のところは、>>2318で引用された、宇治の体験集より*Hさんの体験 そして>>2320

>>宇治の長田先生という方は、ご講義で一人の男性の魂を救われ、結果、その男性の病気という「本来ないもの」が現象からも消えました。そして、その魂を救われた男性は、ご自分の体験を生かして他の癌患者の魂を救う使命を果たされています。これが、本当の生長の家の「人類光明化運動」なのではないのですか?<<

――と書かれた。a hopeさまの使命感は、このHさんと同じ気持ちなのではないか、ということですね。

そして後半の、<「生長の家の教え」はそんなんではないのですよ! と、声を大にして発言していかなければいけない> の、“そんなんではない” というのは、雅宣総裁の説かれるようなものではない、という意味なのですね。

ちょっとわかりにくかったけれど、わかりました。


さて、テキスト以外ですが、『新版 真理』 第3巻のご教示

<< (香厳上樹) 口で樹の枝にぶらさがっていて、さあ返答せよと云われる場合、口をひらいたら千仞(仞は一尺の八倍。八千尺)の谷底に落ちると云うが、それは自分で、自分の手は動かないと信じて、自分の手で枝を握ることを忘れているだけのことであります。

 この「動けるだけの力を、その時、その場、その人に適する相(すがた)に動かす」と云うことは、是こそ禅の極意なのであります。

 「禅機の把握」と云うことは「全機の把握」でありまして、全体に行きとどいてあらゆる点を動かし得ることであります。これは心が全相(あらゆるすがた)に達したときに出来るのでありまして、心が一部にのみ引っかかっているときには、その引っかかっていることに気をとられて、他になすべき道が無数にあるのに、それを行なうことが出来なくなるのでありまして、自分で自分の力を「これ位のもの」と限ってしまうから二進も三進も(にっちもさっちも)行かなくなるのであります。

 そこで全局(ぜんたいの場面)を支配するには、すべてのものと自分が渾然一体にならなければ、「対立」が残っているようなことでも思うようになりませぬ。

(中略)

 「何故お前は本来神の子であるのに、脚を擡(もた)げてこの宇宙全体を蹈翻(けとば)すことが出来ないのか、出来るではないか」と云う強い自覚を促す言葉がここに書かれているのであります。

 本当にあなたが自分自身の無限力なる「神性」を自覚したならば地球ぐらいは蹴とばすことが出来るのが当り前なのであります。キリストも「もし芥子種(からしだね)ほどの信だにあれば、この山に動いて海に入れと云うと雖も、必ず成らん」と教えているのであります。これが生命の実相をさとった境地であります。 >>

――このご教示をかみ締め、皆さまのご投稿文を拝読しながら、今、自分は何ができるか、何を為すべきかを沈思黙考しておりました。
<つづく>


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