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Web誌友会 板/2

3521復興G:2013/12/25(水) 12:05:59 ID:AB6RqYXc

<つづきです>

 人間は物質にあらず肉体にあらず仏性、神性そのものである、神のいのちの神聖受胎である。日本的に言えば日子(ヒコ)であり、日女(ヒメ)であり、ミコトでありヒトである。ヒト(人)というのは霊止(ヒト)即ち霊のいのちが止(とどま)っている、宿っている、これが人間であるということであります。

 それが本当に分りますと、もう罪というものは消える――消えるというよりも、罪以上の世界へ脱(ぬ)け出るのであります。

 ××教などにまいりますと 『あなたは因縁が中々切れぬから因縁を切る為にお運びなさい』 などと申します。何を運ぶかというと布教師の中には家財道具までも売って本山へ運びなさいというようなことも言われることもあるそうですが、本当に 『罪』 や 『因縁』 があるものならば、そんな家財道具を一つずつ運んで見たところが、数千億年前からずっと生れ更(かわ)り死に更りして出て来た間に犯したところの、無限ともいうべき罪とか罪障とか因縁とかいうものを有限の財産の持ち運びで贖(あがな)いをするということはとても此の世で出来ることではないのであります。

 本当の贖いというものは、そういう物質に依って贖うことは出来ないのであります。どうしても 『我(われ)』 を置替えなければならないのであります。『罪ある自分』 をポンと捨てて了って、『罪なき自分』 を持ち出して来なければならないのであります。つまり内在の仏性を、『爾(なんじ)に宿るキリスト』 を、自分の中に招(よ)び出して来なければならないのであります。

 自分の中に内在の仏性を招出(よびだ)すのが生長の家式仏教であり、自分の中に内在のイエス・キリストを招出すのが生長の家式キリスト教であります。>>

          ○

 以上で、聖典の謹写を終わらせて頂きます。

 我々は、「顔を洗って出直す」 (>>3517をご参照ください) 必要があると思います。

 「人間至上主義は間違っている」 といわれるときの 「人間」 は、「神聖受胎」 した 「本物の人間」 ではなく、まだ 「罪がある」 と思っている、「物質によって生まれた人間」 すなわち 虚妄(うそ) の人間であると思います。

<<吾れらすべからく
  自分の顔に泥を塗らざるべからず
  敢て他(ひと)の顔に泥を塗るべからず!

  自己の顔に泥を塗るは
  旧(ふる)き自己の抹殺なり
  旧き自己を抹殺してのみ
  我れこそは浄められたる者と言い得ん。
   (「黄金の薔薇」 より) >>

 そして、

<< 『顔を洗って出直して来い』 と俗に申しますが、心の顔を洗い清めて、神聖受胎そのままの顔になって出て来れば、今まで狭いと思っていた世界が広くなり、今まで暗いと思っていた世界が明るくなり、病がなくなり、家庭が調和し、本当に楽しい世界が其処にあらわれて来るのであります。(『愛と光との生活』 第一章より) >>

 このお言葉通り、日々、自分の顔に泥を塗って旧我を否定し、毎朝 「顔を洗って出直し」――神想観をして心の顔を洗い清め、「神聖受胎」 そのままの顔になって愛行、伝道に精進いたしたいと思います。
<つづきます>


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