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Web誌友会 板/2

3736トキ:2014/02/19(水) 20:45:24 ID:O.IEvtbM
 日本の古神道では人間の霊を一霊四魂に分けている。一霊とは実相の霊であり、これを
直日霊という。総括総覧の純粋霊である。それが、奇魂、和魂、幸魂、荒魂の四つのはた
らきとなって分化する。

 荒魂は最も波動が粗大で荒々しい。これは肉体そのものである。古神道が肉体そのものを
物質として観ないで霊的な「魂」として扱っていることは興味あることである。だから、
墓地に物質界を処理する魂であるから、それを換言すれば、「墓地は迷っている霊魂が
さまよっている所であり、悟っている霊魂はもうそこにはいないのだ」という近代の
霊界通信を裏付けることになる。

 悟っている霊、即ち叡智の霊は奇霊であって、肉体を脱した時、直日霊に還る。
幸魂は家族と共に生活し家に祀られた位牌等を媒介としてそこに鎮まり、和魂は
天界に昇って天界を拠点として社会国家のために活動する。

 そこで、墓に留まっているのはまだ肉体生活のつづきの意識を持続して悟りを
得ない荒魂であるから、その墓の形がどんな形を喜ぶということは、その亡霊
自身がどんな形の墓に執着するか、その執着によってきまるわけである。その人
が生前、墓の形に関心があって「こんな墓を建ててほしい」と言っていたので
あれば、その形の墓を建てれば満足するのである。先祖が真言宗の人であれば
真言宗式に五輪塔を建てればよいし、キリスト教の人であれば十字架を建てれば
悦ぶのである。

 しかし、墓地に関心の無い無頓着な霊魂、あるていど悟りをひらいた荒魂は墓
にいないで、四魂一体となって自由自在に顕幽両界を往来して、愛他活動をして
生活をし得るよういなるのであるから、墓石の形は別に問題とするに足りないの
である。

(「人生を支配する先祖供養」 谷口雅春先生著、43〜44p)


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