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Web誌友会 板/2

2821a hope:2013/09/20(金) 21:33:31 ID:dyDQLtZQ

続きまして、聖経 真理の吟唱より 「神の光を受ける祈り」を謹写させていただきます。

「神の光を受ける祈り」

私の魂の内には永遠に消えない光が宿っているのである。
それは神から来たれる光である。
如何なる暗黒なる時にも、その光に照らされて進んで行けば、私たちは決して道に迷うことはないのである。
その光は愛の光である。智慧の光である。生命の光である。
愛が輝きだすときすべての憎しみは消えるのである。
智慧が輝きだすとき迷いが消えるのである。
生命(いのち)が輝きだすとき疲労は消え、老衰は消え、病気は消え、死が消えるのである。

神の愛の光が私の内に輝きだすとき「自」と「他」との障壁(しょうへき)が消える。
利益の奪い合いがなくなり、慍(いか)り憎しみは赦しと変じ、さらに相手を祝福することが可能となるのである。
私は常に心の窓をひらいて、神の愛の光を今受けるのである。
だから私の全存在には神の愛の光が照り渡っているのである。

神の智慧の光が私の内に輝き出すとき、人間が物質的存在だと見えなくなり、霊的存在だということが悟られて来、
物質的欲望が少なくなり、霊的愛他的な行ないに導かれて行き生活が浄(きよ)められるのである。

すでに神の生命(いのち)の光が、私の内に輝き出したのある。
わが全身は生命力にみちあふれ、老いなく、病なく、疲労なく、溌剌として人類の共通的歓喜のために尽くすことができるようになっているのである。

神の愛の光も、智慧の光も、生命の光も、無限であるから、それは輝かせば輝かすほど与えれば与えるほど、
光輝燦然(こうきさんぜん)としてその光と力とを増すのであるから、私は愛を人に与えることを吝(おし)まないのである。
智慧を与えることを吝まないのである。生命を与えることを吝まないのである。

人は神の子であり霊である。
霊であるということがわかると、自と他とが一体であり、彼と我とが一体であり、超焉(ちょうえん)として自他を超え、
彼我(ひが)を超え、私の愛憎を超えて、全体の栄のために尽くすようになるのである。
全体の栄のために自己を挺身(ていしん)するとき、一粒の麦が姿を没して大地に身を任すとき、
多くの新しき芽を分蘗(ぶんけつ)して、多くの実を結ぶことができると同様になるのである。

私はもはや、肉体的存在でないことをさとったのである。
私は「個」にして「全」、「全にして個」である。
個性を完全に発揮する悦びを味わいつつ、しかも全体の栄のために身を挺してそこに何等(なんら)の矛盾もないのである。

感謝 合掌。


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