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Web誌友会 板/2
1578
:
志恩
:2013/06/01(土) 13:42:34 ID:.QY5jUA6
>>1577
:髪の子様、
早速、光明掲示板の方で、「そのままの心」、検索してみましたら、載っていました。感謝。
只今、このWEB誌友会板では、【そのままの心】とは、についてでディスカッションの最中ですので、
そのところを重点的に、転載させて頂くことに致しました。
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☆ そのままの心 ☆ について〜
光明掲示板より
十月十日 【そのままの心に成る日】 (本日午後一時より小倉市堺町国民学校にて白鳩会) (2280)
日時:2012年10月07日 (日)
名前:童子
‘そのまま’の心とは、天地は本体『一』であるから、天地一切と調和ちたる心である。
人は生れたるままの心 ―― 即ち『實相の心』 ―― になることが必要である。
‘そのまま’が天衣無縫である。どこにも隙がないのである。
天衣無縫が無敵であり、うまれたる侭さながらである。
『無敵の用(はたらき)は生れながらにして其形像幼童の如し』ともあり、『平法は温和にして心広し。故に無敵にして其体豊か也』とも『無敵の体は広大也。
天地の万物を包括せるが如し』ともある。
ひろびろと‘そのまま’の心になる時、天地は‘わがもの’。‘わがもの’となる時、もう何処にも敵がないのである。
『敵と成る者山河を動かすとも、我が心体の裏にして、何ぞ外に向って敵として戦ふべきか』と云う山内翁の語(ことば)に至っては、
実に、天地は‘わがもの’ ―― の自覚あってのみ云い得ることである。
この点、宮本武蔵の『五輪書』などに、敵に対する技巧について細々と書いてあるのに比較して、山内蓮心翁の『平法』の方が偉大であるとも云える。
宮本武蔵は敵に勝つことに心逸った趣があったが、山内蓮心は敵無きことをその極致としたのである。
敵は外部にあらわれて『山河大地を動かす』とも、その姿は外にあらずしてわが心内の姿の映像とせるところ、
また先ず内の敵を斬ることを先にして、『何ぞ外に向って敵として戦ふべけんや』を後にせる素晴らしい心境である。
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