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Web誌友会 板/2

5797a hope:2015/09/27(日) 10:23:21 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p126 9行目〜

神を絶対的なものと観ないで、相対的な神をわれわれが信ずることになりますと、どうしてもわたしたちは本当の安心に到達することはできないことになります。

絶対者だからこそ安心して信頼もできるのだけれども自分の頼っているものは相対的な存在でそれに対するやはり強い力をもって対立している何かがあって、いつどこからかせめてくるかもわからないということになれば、不安で、どうしたって本当の安心を得られるはずはない。

相対的な神を信じている限り、安心は得られません。

絶対的な神を信じた時、われわれは初めて安心が得られる。

もし罪業が神から出てきたものならば、神が罪を作ったということになれば、罪は実在します。

しかし罪を作ったりするような不完全な神や、やりそこないの世界や人間をこしらえて、またやり直しをやるような神を信じていて本当に安心していられるはずはありません。

われわれが本当の安心を得るには絶対的な、完全円満なもののみを創り給うた神を信ずる他はないのであります。


われわれは神の子である。

神の無限の善でありますから罪を創り給うはずがない。

神の生命が宿ってわれわれは生かされているのであるから、神の無限に善なる生命すなわち我であるところの大自覚に入った時のみ、いっさいの不安や、罪苦は消え去って、本当の善なる実相が現われ、この世が光明楽土と化するということになるのです。


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