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Web誌友会 板/2

4394a hope:2014/09/29(月) 10:58:24 ID:cEpBaIdo

「光は暗(やみ)と和解せず」p63

「敵を愛せよ」と仰せられたイエスが、なぜ「サタンよ、退け」といわれて、「サタンを愛せよ」といわなかったのでしょうか。
「敵」というものも、その実相は完全な人間でありますから、「敵を愛せよ」とは、その実相なる完全な人間を見て愛せよという意味において、正しい真理であります。

しかしサタンというものはどうであろうか。
それは精神統一修行中に現れた妄想が客観化したものであります。
妄想というものは「本来ないもの」をあるかのごとく描いたのが妄想でありますから、その客観化であるサタンというものも、結局は存在するかのごとく見えても本来非実在であります。

それで、敵ならその敵の実相を見れば、敵の内性に神の子なる実相を見て愛することができますけれども、
異端、妄説、妄念、妄想は「本来無い説」――虚説でありますから、その実相を見れば、妄想は「本来無い」ということがわかるだけでありますから、
「本来無いもの」(虚説)に和解することは絶対にできないのであります。

光と暗は和解することができない。
光が近づけば暗は消えるほかはない。
それと同じく真説は虚説に近づけば虚説を消す働きになる。
真理が妄想の客観化なるサタンに和解せんとして近づけば、かえってサタンを消す働きにならざるをえない、
すなわち言葉でこれをいえば「サタンよ、去れ」の一喝とならざるをえないのであります。


虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳がないように思うのはまちがいであります。
また虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのもまちがいであります。
虚説を排撃することいよいよ明瞭であればあるほど、真理が明らかに照り、それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

(つづく)


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