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Web誌友会 板/2
5184
:
a hope
:2015/02/15(日) 19:20:58 ID:brQxC10.
(
>>5183
a hopeまとめ)
○肉体 ―― 肉体は「真の人間」ではないけれども、肉体を象徴として肉体ならざるもの、隣人の神性に敬礼するためにある。 または愛を表現するためにある
○宮・神殿 ―― 神はその宮・神殿の中にはいないけれども、その宮・神殿を象徴として神の霊に敬礼するためにある。 宮・神殿はあってもよく、なくてもよい
(a hope所感)
「わたしのお墓の前で泣かないでください。そこにわたしはいません、死んでなんかいません。・・・」
と「千の風になって」の歌詞にありますが、だったらお墓を建てる必要もないわけですが、
わたしたち人間はおそらくどこの国の人間であっても、身内が亡くなればお墓を建てて供養するのではないでしょうか?
それは、この説明から考えれば、亡くなった方の霊(実相・神性)をお墓を象徴として敬礼するためということになります。
確かに霊は肉眼では見えませんから、礼拝(敬礼)しにくいですし、年月が経つにつれてその存在自体を忘れてしまいがちになります。
ですが、お墓や宮・神殿のように形になって顕れていると礼拝しやすいですし、その存在を忘れてしまうということがありませんね。
一方、肉体をもっているわたしたちは、そのお互いの肉体を霊(実相・神性)の象徴として礼拝し愛することができるのですね。
すべてが「生長の家」の『実相礼拝』ということになりますね!
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