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Web誌友会 板/2
3919
:
a hope
:2014/05/20(火) 08:44:40 ID:cEpBaIdo
テキストp84〜 キリストとニコデモ より
( a hope赤線部分)
<<現代でも多くのニコデモがいて、※わたしの主張に対して「いかでかかることどものありうべき」と反駁するでありましょう>>
※「わたし」・・・谷口雅春先生
「主張」・・・「現象人間から心の眼を一転して実相人間を見ることだ」ということ。
<<「すべて信ずる者の彼によりて永遠の生命を得んがためなり。」この一節は、今までキリスト教徒が、イエスを通さなければ永遠の生命が得られないと主張する根拠となった一節であります。
しかし、何故、イエス御自身の言葉として、「すべて信ずる者の彼によりて永遠の生命を得んがためなり」と三人称でいわれて、「われによりて」といわれなかったのでありましょうか。
イエスはここで特に「人の子」といったり「彼」といったりしているのであります。
それは「人の子」というのはイエス自身が注釈して「天より降りし者をいう」といっている。言い換えると実相世界に誕生した者――実相人間全体を普通名詞としていっているのであります。
イエスは「われを信ぜよ」といったのではなく、「人の子を信ぜよ、実相人間を信ぜよ、わたしはその一例だ、『久遠の実在』としての実相人間を信ずる者には肉体は死んでも、永遠の生命が与えられるのだ」といったのであります。>>
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