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Web誌友会 板/2

4485a hope:2014/10/12(日) 17:13:02 ID:cEpBaIdo
>>4484 つづき)

昭和60年5月24日。

最終講話で尊師は、私はもうお話しすることはない。
全て本に書いてあるから、読んでいただければいいのです。

とはっきり御遺言されたのでありました。

それを踏まえていうならば、生長の家的な、解釈であれば、
「御教え」である「聖典」の多くをおろそかに(読めなく)することそのものが真理隠蔽となるのであります。


そのことで必然、最初で最後谷口雅春先生が、神の御名で出された大号令。
「神命の書」さえも隠蔽されたのでありました。

(「神命の書」の写真)

幻の「神命の書」がいのちを守る奇蹟の事務所に届いた。。
ご覧になりたい方は事務所にお越しください。

そのことで・・「中絶」止まず、戦後総計、1億5千万人以上の「かわいい赤ちゃん」を無残に殺し続けた飽和点こそ、3・11ではなかったのか。

その深い意味が分かるのは・・谷口雅春先生から御教え(生命の實相・原理原則)と、
個人指導の根本となる、生命の法則(指導原理)(こうしたら、こうなる・・)を伝えられたからである。。

青天の霹靂どこではない。聖典の喪失である。
なんという皮肉。その直前に、教団から「聖典」は失われた。

自ら、社会事業団を「著作権問題」で訴えて、結果(最高裁で敗訴してしまったのだ)。

これからも裁判闘争が続くかもしれませんが、教団の勝訴は、まず、無理でありましょう。それは、失う前に捨ててしまった、その心の形の具現こそが「裁判」での「最高裁」の判決でありましょうから。
私はそのことを、一信徒として深く悲しむものであります。


[ただし例外としては「理念」たる大調和の精神を回復すれば聖典は戻るはず。
その方法・・メルクマール(目安)は、(1)住吉(澄み良し)の理念を回復し、
(2)尊皇の路線(完全平和)を回復し、(3)日の丸君が代を尊崇する精神(みすまる)を回復する事です。

そのことで、必然「聖典」は尊重されて、続々「再刊」「復刊」されるでありましょう。これぞ、塩槌の大神の復活であります。]

創始者谷口雅春先生の奥様であり、私たちの教えの母でもある「谷口輝子先生」は、裁判は生長の家に似合わない。
裁判というものは避けるべきものであると語られていたという事をよく聞きます。さすがであるな、と思ったものでした。

大調和こそ、御教えの根幹であるが、人間関係が「壊れたとき」に、和解ならぬ「裁判」があるわけで、
自ら裁判で訴えて負けるとは、生長の家史においては前代未聞。
当代では今後・・予想がつかないが(4代目以降も)、最低限の「モラル」がある限り、あり得ない事であろうと思う。

もし、このことが「恥ずかしい事」であるのなら、総裁先生おひとりの責任ではない。
私も信徒の末席にある者。信徒も含めた「生長の家」教団全員の全体責任であると思う。
聖典をおろそかにしている点。赤ちゃんを見殺しにし続けている点。

もうひとつ、畏れ多い事であるが、あえて言えば、「鎮護国家」外しは、生長の家出現の理念を根底から覆すものであったことに関して、
私は当時「講師」として宇治別格本山で末席にあったとはいえ、指導をさせていただいていた責任において私の責任を「懺悔」しなくてはならない。

御恩をいただいた多くの上司(谷口雅宣総裁先生)、先輩、同僚を含めて、限りない慈愛を戴き放しであり、
私も、この時期に「録を食んだ者」として・・安易に、批判できる立場にはない。

ただ、「鎮護国家」外しだけは、絶対にしてはならないことをしてしまったことを思う。

もし、違和感を感じないのであれば、それは「神の真義とその理解」(あるいは「生長の家30年史」・「40年史」・「50年史」)を読んでいないからだろう。

そこには、尊師(生長の家・生長の家大神)が「鎮護国家」のためにこそ、出現されたことの因縁が重ね重ね書かれてあるのだ。
生長の家の「悟り」と「神観」の全貌がそこに明記されているのである。

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