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Web誌友会 板/2

2914復興G:2013/09/25(水) 22:29:25 ID:AB6RqYXc

 「君民同治(くんみんどうじ)の神示」 を再度掲示させていただきますと――

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   君民同治の神示

 国は人間生命の外延(がいえん)である。それは身体が人間生命の外延であるが如くである。

 人間生命が神より生れたる神聖なるものであるという自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるとの神聖性を要求するのである。

 この要求が神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。

 しかも人は自己が無にして絶対であり、一切の主(しゅ)であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於ても持つことを要求するのである。観られる世界は観る人の心の世界であるからである。

 身体も国も共に観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。観る心の要請が身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。

 天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。即ち観る主体(民)が神聖であるから、観らるる客体である天皇が神聖なのである。

 観る主体(民)の神聖性が包まれ蔽われて混濁するとき、天皇の神聖性は蔽われて発現しなくなるのは其のためである。今の状態がそれである。

 人間は自己自身の神聖性の故に神造の国家に神聖降臨の神話を創造してその歴史の中に住む自己を観るのである。天孫降臨とは人間自身すなわち民自身が天孫であり、神の子である自覚の反映にほかならない。

 かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。

 是を主客合一の立場に於て把握すれば主客一体であり、君民一体であり、民は君を拝み、君は民を拝む。民を拝み給う治(じ)は、君を拝むところの事(じ)と一体である。治事一体であり、治めると事(つか)えるとは一体であり、君民同治である。

 天皇は絶対者にましますとは、観る主体たる人間(民)の絶対性より来る。民が自身の絶対性の把握が破れるとき、その反映として国の絶対性と天皇の絶対性とは破れるのである。

 打ち続く敗戦により、民自身の永遠性と久遠性との自覚が破れたのが国家大権、天皇大権の一時中断の形をもって現れたのである。
(一二・二八 午後一二時)

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 ――これが 「君民同治の神示」 であります。

 「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。」

 これは、生長の家において、

 「総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。されば信徒が主であり、総裁は客である。」

 と置き換えることもできるでしょう。

 私たち信徒一人一人が、真剣に生長の家の深い真理を学び、愛を実践してまいりましょう。


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