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Web誌友会 板/2

3876a hope:2014/05/02(金) 22:46:33 ID:brQxC10.
>>3875 曳馬野さま

<<私の思うところは、『幸福生活篇』第三章「無碍の大道」p70-p77二行目辺りまでで答えになるのではと思います。>>

とのことでしたので、『幸福生活篇』第三章「無礙の大道」をもう一度拝読してみました。
この箇所はわたしも以前とても感銘を受けていて、赤線をあちこちにひいてあります。

前半部分は「生長の家とは何か」の定義のようなことが書かれていて、
そこのところは以前聖典引用板に謹写させていただきました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2678n-


曳馬野さまが、わたしの「公案」の答えになるだろうとご指摘くださった後半部分は、
p75からですが聖典引用板に謹写させていただきました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2834n-

とても素晴らしい真理が書かれていると思います。

要するに、全ての出来事を幸福であると見なし、すべてに感謝して生きる生き方ですよね。
これこそが、まことの「生長の家」の生き方なのですね。

そして曳馬野さまがおっしゃるように、当事者の内面的な面からみれば
<<真理に生きるとはどのような事か>>ということの答えになるのだと思います。

ですが、わたしの公案は、『真理に生きるとはどのような事か?』ではなくて、
『「生長の家」の信仰者の取るべき態度とはどのようなものか?』なのです。


ですが、曳馬野さまの

<<ご自分が真理とはこういうものだろうと思うものを心に掴んだものからでは納得がいかない、
その例として教団の在り様を挙げているのでしょうか。
今現在非道な事が為されていると貴女が感じているのですよね。
貴女は『生命の実相』をひたすら読み続ければ救われると云われました。>>


というご発言を何度も拝見していて、「はっ」と気が付きました。

要するに、わたしはもう自分で答えを出しているんですよね!

自分の頭で考えるのではなく、ひたすら聖典を拝読して神想観をして『神意』にしたがい行動すること。

それがまことの「生長の家の信仰者の態度」となるのだと思いました。

それに>>3867でトキさまも、

<<基本は”神意”なんでしょうね。>>

とお答えくださっていましたね!


a hopeは、ますます、聖典のお勉強に意欲が湧いてきました。
曳馬野さま、すばらしいご指導をありがとうございます。

合掌。


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