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Web誌友会 板/2
210
:
復興G
:2013/02/16(土) 09:52:57 ID:AB6RqYXc
>>204
:るん様。
率直なご感想・ご意見、ありがとうございます。
>>雅春先生の男尊女卑的なところが、いやでした。そういう内容が書いてある部分は読まないようにしてました。
「実相独在」や「物質無し」は、神からきた いわゆる「真理」の部分だけど、「男尊女卑」的な部分は、明治生まれの男性の考えで、(肉体の雅春先生の考え)「普遍の真理」とは思えないです。
実は半年くらい前に・・・拝雅春先生の書かれた(男尊女卑の)すごい内容の文が紹介されていたのを見つけました。その内容は、かなりショックな内容でした。
(内容は、下品で 書けないのですが・・・ヒントはハイ、ニコ、ポンです。ちょっと下ネタ)←↑これはやっぱり「神からきた真理」だとは思えませんのです。<<
さて、谷口雅春先生が、一見「男尊女卑」的なことを強調して説かれていることは、私も承知しています。
しかし、その真意は「男尊女卑」ではなく、たいへんな女性尊重のフェミニスト、女性解放論者だったのではないか、というのが私の感想です。
というのは、思いつくだけでも『女は愛の太陽だ』『をんな生ける意義あり』『女性の幸福365章』『女の生き甲斐』『女の教養』『女の浄土』『新しい結婚』……と、「女性の幸福」に関する本は随分たくさん書かれていますが、「男性の幸福」だけについて書かれている本は一冊もありません。(だから、白鳩会の勢いが相愛会をはるかにしのぐものになっているのではないでしょうか。)
谷口雅春先生は、男性・女性を問わず、人間は肉体ではなく時空を超えた霊的存在である、本体は神そのものであると観ておられる。だから、一見「下品」と思われるような肉体の話も、突き放して何のためらいもなしに書かれているように思われます。たとえば、「久遠天上理想国実現の神示」に
≪『生長の家』の因縁を書き置く。『生長の家』とは人間が付けた名ではない。神がつけさせたのである。『生長の家』とはタカアマハラのことである。―に無限に生びることを『生』と言い、|に無限に長びることを『長』と言い、―と|とが十字に交叉した中心を息叉(家)と言う、―の生命と|の生命とが交叉した中心が『家』である。イヘ(エ)のヘ(エ)は交叉の形を象徴ったものである。家のことを巣と言い、住むと言う。住むと言うのは中心に集ることである。一切のものは中心に集り、中心に統一せられることによって澄む即ち浄められるのである。
……生長の家を、高天原と仮名付けさせたり、生長の家と仮名付けさせたが、高天原――瑞穂の国――生長の家――この三つは三位にして一体である。『生長の家』とは『長生の家』、『無量寿の家』、即ち『不滅の家』であって、実相生命の不滅の相が家系となって連綿と続く家である、日本に於ては国と家とは一体である。全世界もまた家と国とが一体であることを教えたのがイエス・キリストであって、そのために彼は人間同士を兄弟と呼ばせたのである。併し兄弟があるばかりで兄弟相争っては家は治まらぬのである。兄弟があり、家長があり、其処に統一があって始めて此の世界が浄まって生長の家となり、不滅の家となるのである。≫
とあって、そのご講義に(『秘められたる神示』より)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
この神示にあらわれているところの『 』で包んでいない生長の家と書かれているのは、教団の名称でもなければ、雑誌の名前でもないのであります。それは「生」と「長」と「時間」と「空間」とが縦横交叉した一点の、その一点もない「中(みなか)」の世界「未発の中(みはつのちゅう)」の世界をあらわす抽象名詞なのであります。それは現象世界以前の世界――住吉世界であり極楽浄土であり、時間以前の世界なのでありますから年齢(とし)をとらない長生(ながいき)の家、無量寿の家――浦島太郎がそこに住(い)っていた間はいつまでも若かった世界――すなわち"実相の世界"であります。
雑誌の名前や教団の名称に『生長の家』とつけられているのは、その"実相の世界"なる生長の家を説くところの雑誌であり、団体であるからで、現象界の雑誌や団体そのものが無量寿の家そのものではないのであります。『日本』という雑誌が日本のことを記事にする雑誌であっても、雑誌や発行所は日本国[そのものではなく、世界の色々の問題を取扱う雑誌が『世界』と名づけられていても、『世界』誌そのものが世界ではないようなものです。
<つづく>
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