[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
4901-
5001-
5101-
5201-
5301-
5401-
5501-
5601-
5701-
5801-
5901-
6001-
6101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
Web誌友会 板/2
1841
:
志恩
:2013/06/10(月) 08:36:45 ID:.QY5jUA6
生長の家の教えは、『実践哲学である』ということも、私は,昔、学びました。
(一)を生きる方が あれば、それもよし。
(ニ)を生きる方が あれば、それもよし。
だと存じます。
あじさいの花の生き方が 好みの方があれば、あじさいの花の生き方で、
夾竹桃(きょうちくとう)の花の生き方が、自分には合ってると思うお方があれば、夾竹桃の花の生き方で…
それぞれに、それぞれが、自分に合っているという生長の家の教えを生きてゆけばいいと、私は思っております。
-----------------------------------------------
谷口雅春先生著「真理8巻」5頁より
>>「作法 これ 宗旨(教えの主体・中心)
得道 これ 作法 (実践すること)」
教えの本体が そのまま日々の 動作 となり
得道と言うものが そのまま作法として 日常生活に 現れなければならない。
生活と教えとが はなればなれに、遊離しては ならないのであります。
生活がそのまま教えとなり、生活が そのまま説法と成るのでなければ、本当に生長の家の信徒とは言えないのであります。<<
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板