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Web誌友会 板/2

3517復興G:2013/12/24(火) 23:20:18 ID:AB6RqYXc

<『愛と光との生活』 第一章より 謹写つづき>

 (中略) 人間は始めから罪なきものであります。それなのに、心の迷で塗りつぶして、あの人は病人であって肺臓が空洞になっていると思う。その思いの波動が物質化して医学的に検診して見ても肺臓が空洞になっているように顕れている。実相の肺臓は壊れていはしないけれども、そういう風に現れるのであります。そういう風に吾々の心で塗ったところの、心で色づけしたところの仮りの姿が肉眼に見えている姿であります。

 ですから吾々は肉眼で見える病気の姿を、本当にある、あると思って其の通りに始終心に描いておりましたら、先に描いた絵具が剥げる時分には又新しい絵具で病気の姿を塗っている事になりますから、何時(いつ)まで経ってもその絵具が消えないでいるのであります。

 心で賦彩(ふさい)せるものが現象の姿でありますから、上から塗った病気色の白粉が剥げたら実相の健康な生地が現れるのでありますけれども、夜昼なしに心の思いで 『ああ私は病気だ、病気だ』 と考えまして、『病気、病気』 という絵具を塗って、五官の鏡に映して見ておりますと、常に心の絵具で塗る通りに現れますから病気は決して消えないのであります。華厳経の唯心偈に 『心は工(たくみ)なる画師(えし)の如く種々の五蘊(ごうん)を描く』 と説いてあるのは誠にその通りであります。

 その迷の白粉(おしろい)を塗った顔を洗い浄めるのが空中に現れた 『無原罪』 の神様が 『顔洗え』 と被仰ることだろうと存じます。

 が、だから此の 『顔洗えよ』 『悔い改めよ』 というのはこれこれの日常の行為の一つ一つについてこれを改めるというようなそんな小さい個々別々の問題ではなく、もっと大きな悔い改め、『人間は肉体である』 と考えて居ったその考えをスッカリ悔い改めて、『人間は物質にあらず、肉体に非ず、久遠不滅のいのちである。神聖なる神のいのちがその儘ここに受胎しているのだ、神聖受胎だ』 という、その神聖受胎の悟りにまでクラリと変るのが、本当の悔い改めで、これが顔を洗うことであります。

 『顔を洗って出直して来い』 と俗に申しますが、心の顔を洗い清めて、神聖受胎そのままの顔になって出て来れば、今まで狭いと思っていた世界が広くなり、今まで暗いと思っていた世界が明るくなり、病がなくなり、家庭が調和し、本当に楽しい世界が其処にあらわれて来るのであります。

<以上で 『愛と光との生活』 第一章より 謹写おわり>


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