[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
4901-
5001-
5101-
5201-
5301-
5401-
5501-
5601-
5701-
5801-
5901-
6001-
6101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
Web誌友会 板/2
3436
:
復興G
:2013/12/10(火) 21:14:06 ID:AB6RqYXc
曳馬野さん
お答え、ありがとうございました。
おつかれさまでした。
さて、これ以上レスしても水掛け論で、噛み合わないでしょうから、やめておこうかとも思いましたが、やはり書いておくことにいたします。
>> 【あらゆる教えの神髄を讃え拝むことによって】と云われてますが、それは生長の家から他宗を見た真髄なるものであり、禅の云う見性をしていない復興Gさんが、どうして禅宗の神髄を讃え拝むことが出来ますか。出来るのであればこんな風な質問はしないと思います。<<
――生長の家には 「他宗」 はないと思います。なぜなら、「生長の家」 というのは一宗一派ではなく、あらゆる宗教宗派の生じた根元のところから出発していて、万教を包容するものであるからです。(お解り頂けるかどうか知りませんが)
だから、谷口雅春先生は 『無門関解釈』 も書かれるし、清超先生は 『正法眼蔵を読む』 を書いておられるわけです。
生長の家には、「立場」 というものはありません。強いて 「ある」 というなら、それは 「久遠の今」 でしょう。宇宙に遍満する、というか時空間を超えた 「家」 です。
「久遠天上理想国実現の神示」 に、
<< 『生長の家』 の因縁を書き置く。『生長の家』 とは人間が付けた名ではない。神がつけさせたのである。『生長の家』 とはタカアマハラのことである。|(タテ)に無限に生(の)びることを 『生』 と言い、―(ヨコ)に無限に長(の)びることを 『長』 と言い、|と―とが十字に交叉した中心を息叉(イヘ=家)と言う、|の生命と―の生命とが交叉した中心が 『家』 である。>>
とあります。|(タテ)は時間をあらわし、―(ヨコ)は空間をあらわし、「生長の家」 は時空間の発する元のところ、大宇宙の根柢にあり、一切を包容するものであるわけです。
時空間に投影された世界 すなわち現象世界には、いろいろな宗教宗派があらわれています。それについて、『神 真理を告げ給う』 には次のように書かれています。
(“わたし” は神)
<< 世の中には偉大なる宗教家もあり、碩学(せきがく)もあり、哲人もあり、既にそれらの偉大なる人たちの思想や信仰に共鳴し、同調し、心酔し、讃仰(さんぎょう)して、彼を聖者の如くあがめて集って来た人たちが集団をつくって運動している団体もある。それらはそれぞれの悟りの段階に於いて、それでよろしい。それらの宗教教祖や碩学や大哲の中に “わたし” は宿って、人々を導くために “わたし” は書いたり、説いたりして来たのである。真理は人間の肉体から生まれて来るものでも、人間の脳細胞から生産されて来るものでもなく、実にそれらの人々に宿っている “わたし” がそれを説いているのである。>>
――あらゆる宗教は人間の脳細胞から生産されて来るものでなく、教祖たちに宿っている神(宇宙根源の大生命)が教祖を通して語られていて、宇宙の真理をあらわしている。だから、
「吾らは凡ゆる宗教が大生命より発せる救いの放射光線なる事を信じ、他宗をそしらず、他人の尊崇の対象たるものに敬礼せんことを期す」
ということになるわけです。
もっとも、そのあとに続いて、『神 真理を告げ給う』 には、
>>1420
でも引用しましたお言葉があります。
<< 人間には在来からもっていた先入観念や薫習(くんじゅう)というものがあって、人間を通して真理を説く場合、どうしても、それによって“わたし”の説く真理が歪められ、賦彩(いろづけ)されて、“純粋なる真理“ そのままであることはむつかしい。併し、それはそれでよいのである。>>
と。
で、曳馬野さんが、
>> 【あらゆる教えの神髄を讃え拝むことによって】と云われてますが、それは生長の家から他宗を見た真髄なるものであり、禅の云う見性をしていない復興Gさんが、どうして禅宗の神髄を讃え拝むことが出来ますか。出来るのであればこんな風な質問はしないと思います。<<
とおっしゃる、「こんな風な質問」 というのが
【曳馬野さんにお尋ねします。あなたは、禅の世界での悟りが正しく、生長の家での悟りは正しくないとおっしゃるのですか? 】
という質問のことでしょうか。
>> 禅の云う見性をしていない復興Gさんが、どうして禅宗の神髄を讃え拝むことが出来ますか。<<
とおっしゃる、「禅の云う見性をしていない」 というのは、禅寺で修行をして、そちらの権威ある高僧から 「お前は見性したと認める」 という允可を受けていない、という意味なのでしょうね。
<つづきます>
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板