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Web誌友会 板/2
1976
:
志恩
:2013/06/13(木) 09:54:04 ID:.QY5jUA6
>>1946
:より
生長の家は、和解、大調和の教えである。
しかし、和解と妥協とは違うのである。
現象の悪と妥協してはならないのである。
妥協でない「和解」は如何にすれば可能か。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
現象は如何にあろうとも、実相は永遠に光り輝いている。
現象に如何なる対立の関係があるように見えようとも、そんなものは、ナイのである。
それは、教団派も、本流派も、共に本来の「一」に立てばよいのである。
「無」に立てばよいのである。
「中(みなか)」に帰ればよいのである。
そのためには、『生命の實相』に還ればよいのである。
のである。
真に、谷口雅春先生を学べばよいのである。
其処は、既に一切が大調和している世界である。
「一」なる世界である。
神こそ渾ての渾て。現象はない。実相独在である。生長の家は、唯神実相を信ずるのである。
真の中心帰一とは、「中(みなか)」より出でて「中」に帰ることである。
生長の家の信仰は、実相独在・善一元の信仰である。すべては絶対無なる「中」のいのちから咲き出でた花である。
「中(みなか)」への還元
《谷口雅春先生。昭和40年、『理想世界』誌5月号より》
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ということで、「中に還ればいい」ということを分らせて頂きました。
雅春先生は、様々な角度から 教えを説かれておられます。
先に
>>1842
に、謹写させて頂きました雅春先生の説「妥協と和解のちがいについて」も
雅春先生のお言葉です。
実相独在、善一元の信仰とは、実相に対しての信仰であります。
復興G様、トキ様、訊け様は、和解派でいらして、
「既に一切が大調和している世界である。
「一」なる世界である。
神こそ渾ての渾て。現象はない。実相独在である。生長の家は、唯神実相を信ずるのである。」
だから…、一つになるのが、本来の姿であるというわけですが、妥協せずに、神様に和解するということは、
どう考えることか、どうなることなのか…雅宣総裁は、雅宣総裁のお考えがおありになり、そのように行動されてますし、
本流は本流で、そのように考えられて実践中ですし、
復興G様は復興G様で、ご自分の信念のもとに実践中でいらっしゃるし、私も しかりです。
ゆえに、生長の家のおしえは、意義深いと申し上げました。
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