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Web誌友会 板/2

2391復興G:2013/07/20(土) 19:13:47 ID:AB6RqYXc

>>2388 ユタカ様。

率直なご感想を言ってくださって、ありがとうございます。

>>私のような初級者は、現象的に神様がいないと信じてきて「生長の家」に出会って神様の存在を知らせて頂いたので、その神様が 「私は無い」 のですよ。となると思考が混乱してしまい、どう理解するかわからないのです。<<

これは、榎本先生の 「無神」 というご文章を読まれますと、かなり解って頂けるのではないかと思いますので、「榎本恵吾記念館」 サイト
http://homepage2.nifty.com/hanabira/
の 「文書館 Ⅱ」 から、一部転写させて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

無 神

 もしも、神というものがあって、その神に向かって誰かが「神は無い」と言ったとすれば、神は、「その通りである。私は無いのである。」と言われるであろう。

 そして逆に、その人に対して、「あなたによって私は生かされているのであります」といって礼拝されるのではなかろうか。

 神ご自身が『私が全宇宙の生みの親である。〇年〇月〇日。』などというものを、どこかに建てておられるとは、どうしても思えない。もしも、そういうものがあれば、そんなものを、自ら建てられるようなものを神と呼ぶ訳には行かない。

 神は全宇宙を創造し給うていながら
 その姿を消しておられるのであります。

 神は、人間を礼拝し給うているので
 あります。

 春には花を咲かせ、野山を緑でかざり
 雨を降らせ、陽を明るく
 風を渡らせて、何とかして人間を喜ばせて
 やろうとしておられるのである。

 生きた花々草々をもって、神は我らを供養し給うているのであります。
 しかし、依然として神はご自分を消しておられるのであります。

 どこまで消しておられるか。

 それは、神がお生みになった人間に「神は無い」といえるようにしておられるまでにであります。

 「神は無い」という声も、神のいのちによって人間はそう言っているのであります。そこまで神ご自身で、無神になっておられるのであります。

 「神など無い」と言えば言うほど、そこに、神の無神の聖なる輝きが、証明されているのではないでしょうか。

 日本神道の幽の幽なる神とは、ある意味でこのことを言っているのかもしれません。宗教も、真の宗教はこの神の無神なる輝きをうつしたものであるはずである。宗教が「この教えがお前たちを救ってやるのである。この教えにふれなければ、あなたは救われない。」というようなものであれば、即、それは神ではなく、愛ではなく、聖なるものであるという訳にはいかないのである。

 人前に立って「救ってやった。救ってやった。」というところには、聖なるものはないのである。

 説法も、お経も、そこにもし「この説法を聴かなければ救われない」とか、「この本を、このお経を読まなければ救われませんよ」というのを、少しでも残しておれば、それは無我ではなく、愛でもないのである。

それは無神の聖なるいのちの流れとは、およそかけはなれたるものでありましょう。

 おおよそ宗教は、
    全能なる神を信ずるのである。

 その信ずべき全能なるものの、生んだものの中に、これから救って完全にしてやらなければならないものがあると観ることほどの不信はあり得ないのであります。

 それは、宗教自体の自己矛盾であるといわなければならない。そこに宗教の「我」が出てしまっているのである。

 ただ、もし宗教にゆるされるべき道があるとすれば、それは神の生んだ萬物を拝むこと祝福することのみであります。それが無神なる輝きの世嗣なる宗教の姿でありましょう。

<つづく>


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