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Web誌友会 板/2
6113
:
a hope
:2016/03/01(火) 17:31:26 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第24巻 p154
十四、個性はどこから来るか
池永―― われわれは皆異なる個性を持っておりますがこの個性はどこから来るのでしょうか。
俗に「親に似ぬ鬼子」と申して親の性格とは似もつかぬ性格の子供が生まれたりします。
その子供の個性はどこから来るものなのでしょうか。
またその肉体死後はその個性はどうなるものでしょうか。
人間はすべて神の子で完全円満であるとは生長の家の説くところでありますが、この子供(鬼子)はいかに説明されましょうか。
谷口―― 個性は因縁によって来ます。
因に二種あって、一つは本来因で、他は後天因であります。
本来因とはわれわれが大生命より割り当てられた役目であり使命であります。
かくのごとき使命としての個性は、われわれが実相を開顕するにしたがっていよいよ明瞭の度を加えるのでありまして、われわれの生命の悟り(実相の開顕)が進んでくるにしたがって、われわれはいっそう個性的になってくるのであります。
次は後天因によって来る個性は、実相因の個性でも使命でもなく、実相が誤れる念の集積のレンズにより屈折された歪曲(ゆがみ)がすなわちこの個性であります。
かくのごとき個性は芸術制作の場合などにたとえて申しますれば、一種のクセであって本当の芸術的発達の邪魔になるものであります。
このクセがなくならねば、アクの抜けた佳い作品はできないのであります。
クセが抜けして初めてわれわれの芸術が普遍美と共に、本当の個性美を備えるにいたりますように、われわれも縁に従って生ずる念の集積たる後天的(仮相因)による歪曲(クセ)がとれたときに、本当の個性、完全な個性すなわち大生命から割り当てられたる使命としての個性を完全に発揮しうるようになるのであります。
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