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Web誌友会 板/2
246
:
初心者
:2013/02/17(日) 14:45:05 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま
休み時間のようですので、少しだけお邪魔させていただきます。
いきなりですが、宇宙というのは不思議なものです。誕生して137億年ともいわれ
ているようですが、誕生の刹那に発せられたとされる光が(正確には電磁波という
べきでしょうか)、いまだに地球に降り注いているようなのですね。
137億年前に一瞬のあいだ発せられた光が、いまだになぜか地球に降り注いで
いるのです。かりに100億年後にも地球が存在するとすれば、237億年前に発せら
れた光がやはり地球に降り注ぐことでしょう。
降り注いだ光は、地球にぶつかって消滅するか、とおりすぎていきます。消滅した光
やとおりすぎていった光はもはやもどってくることはないでしょう。それでも、一瞬
のあいだに発せられた光が、地球が存在するかぎり降り注いできます。この光は、
いったいどこからやって来るのでしょう。
こうした宇宙の神秘をさぐろうとすれば、「ない現象をつかんでいる」と、生長の家
ではかならず否定されることになります。
本題にはいります。
>>「実相」は時間・空間の中にあらず、時空を生み出した本源世界 すなわち「久遠の今」にある。
また、現象世界は4次元時空間というスクリーン上に投影された映画であって、「実相」はフィルムに当たる、とも説かれています。
フィルムはすでに完成している、そこにすべてがあって完成している。けれども現象世界へのに投影は一コマ一コマ順番に映し出されるのであって、一度にすべてが投影されるわけではないから、現象は無常であって、不完全である。
私たちの五官は、投影された影である現象世界を認識する道具でありますから、その五官によって<フィルム>の世界、「実相」を知ることはできない。現象の言葉をもって実相を説明することはできない。というので「不立文字」とか「教外別伝」と言われてきた。……(後略)……<<
>という説明で私は納得し、「ダブルバインド」とは全然感じておりませんが――。なぜ、初心者様がそのようにおっしゃるのか、よく理解できません。考えています。
唯物論は、「下位のものごとで上位のものごとを説明すること」と定義できます。
この定義によれば、下位のものごとであるはずの物質で、上位のものごとである
はずの精神を説明しようとすれば、これが唯物論となります。
では逆に、上位のものごとで下位のものごとを説明しようとする場合はどうでしょ
う。物質的世界はどのような仕組みで成り立っているのか。これを考えるのは唯物
論なのでしょうか。
「一コマ一コマ順番に映し出される」のたとえは、物質世界がつくりだされるとき
の仕組みを述べたものです。あきらかに、物質世界よりも上位のものごとについて
の説明です。
わたしは、こうした上位のものごとである仕組みによって、下位のものごとである
物質世界の成り立ちを説明しようとしているつもりなのですが、なぜかいつも
「唯物論」として否定されます。雅春先生が説明されても、唯物論として否定される
ことはありません。いったいなぜわたしだけが、唯物論として否定されるのでしょう。
「一コマ一コマ順番に映し出す」仕組みを神によってつくられた仕組みであると
考えるわたしは、こうした神の仕組みと、それによってつくられた物質世界を、たん
に「ない」と否定するのではなく、深く探求したいと考えています。
生長の家では、「一コマ一コマ映し出すのは迷いの証拠であり、そのような迷いに
よってつくられた物質世界はほんらいない」と説明されているようですので、探究
する意味はいっさいないとも考えられているようです。
このような違いがあるということなのでしょうか。
生長の家が「一コマ一コマ映し出す仕組が、ほんらいないはずの迷った世界をつく
りだす」と考えているのだとすれば、このように考えなければならない理由とは
なんなのでしょうか。これを神がおつくりになられた仕組みとみなさないのだと
すれば、それはなぜなのでしょうか。WEB誌友会終了後でかまいませんので、お答
えをお聞かせいただければありがたく存じます。
「一コマ一コマ順送り」の仕組みを神がおつくりになられた仕組みと考えても
ぜんぜん問題はないはずですのに、なぜこのように考えることを、人間知、唯物
論、虚説として否定されなければならないのでしょう。このように否定されること
がわたしにはダブルバインドとして感じられます。
ところで復興Gさまは、実相世界は固体と考えておられるのでしょうか、流体と考え
ておられるのでしょうか。固体であれば、これもダブルバインドとなります。どちら
であると考えておられるのでしょうか。
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