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Web誌友会 板/2

1839【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/10(月) 07:43:48 ID:???

>>復興Gさま
>>志恩さま
>>誌友会参加各位


 本来は貴投稿文を転写して理由を述べるべきでしょうが、簡潔に書こうと思います。

 ところで先ず、ある御文章をご紹介させて頂きます。以下は榎本惠吾先生の『試論・波状光明化への道』ですが此処に、この様な御文章がございます。

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『試論・波状光明化への道』(榎本惠吾先生著)342頁より謹写――

概観するに、生長の家人の中には、それぞれの自覚により、運動の展開に二つの姿があるのではなかろうか。仮りに、現象に悪の状態が出て来たとき、どのように対しているかによってそれは分岐れる。即ち、

(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。

(二)現象に思わしからぬものが現れるのは、それは唯一つ『實相一元、唯神實相論』への徹し切り方が足りなかったからである。飽く迄も『唯神實相論』を貫ぬかなければならない。

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 ・・・・・さて、志恩さまのご発言を俯瞰するに、同氏御主張(※)は榎本先生云われるところの(一)に、該当すると思います。そして、復興Gさまの御主張は(二)に該当するものと思っております。

 両氏やり取りを御覧になる際の参考に、この文を投稿致しました。



追伸

 むろん、『試論・波状〜』の中で榎本惠吾先生は、「(二)で行くべきである。それが、生長の家である」と御主張あそばされて、おられます。吉田國太郎先生も勿論、このご意見には賛同なさると思われます。





<註>

※ 志恩さまのご発言を俯瞰するに、同氏御主張は(一)

――――――――――――――
>>1836より:「総裁が、和解をしようと決断され、自ら実践されなければ、和解は可能とはならない。」
というのは、人の道、宗教的な道として、当たり前の道理を申し上げているのです。
このことは、言葉が通じる人には、当然の如く通じるように思っていました。
この考え方の、どこが、「総裁の奴隷」になるのか、私には,理解できません。
――――――――――――――

 「人の道、宗教的な道として、当たり前の道理」として志恩さまがご紹介くださった考えですが、これは少なくとも雅春先生の御主張では「ない」と判断致します。いかがでしょうか。ところでもしも、「いや、この主張に論拠はある」がご返答でしたらば、ご紹介ください。「聖典何巻の何頁」と申し付けてくだされば当方で、謹写・投稿致します。


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