[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
4901-
5001-
5101-
5201-
5301-
5401-
5501-
5601-
5701-
5801-
5901-
6001-
6101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
Web誌友会 板/2
1839
:
【司会者】「訊け」【発言】
:2013/06/10(月) 07:43:48 ID:???
>>復興Gさま
>>志恩さま
>>誌友会参加各位
本来は貴投稿文を転写して理由を述べるべきでしょうが、簡潔に書こうと思います。
ところで先ず、ある御文章をご紹介させて頂きます。以下は榎本惠吾先生の『試論・波状光明化への道』ですが此処に、この様な御文章がございます。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
『試論・波状光明化への道』(榎本惠吾先生著)342頁より謹写――
概観するに、生長の家人の中には、それぞれの自覚により、運動の展開に二つの姿があるのではなかろうか。仮りに、現象に悪の状態が出て来たとき、どのように対しているかによってそれは分岐れる。即ち、
(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。
(二)現象に思わしからぬものが現れるのは、それは唯一つ『實相一元、唯神實相論』への徹し切り方が足りなかったからである。飽く迄も『唯神實相論』を貫ぬかなければならない。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
・・・・・さて、志恩さまのご発言を俯瞰するに、同氏御主張(※)は榎本先生云われるところの(一)に、該当すると思います。そして、復興Gさまの御主張は(二)に該当するものと思っております。
両氏やり取りを御覧になる際の参考に、この文を投稿致しました。
拜
追伸
むろん、『試論・波状〜』の中で榎本惠吾先生は、「(二)で行くべきである。それが、生長の家である」と御主張あそばされて、おられます。吉田國太郎先生も勿論、このご意見には賛同なさると思われます。
<註>
※ 志恩さまのご発言を俯瞰するに、同氏御主張は(一)
――――――――――――――
>>1836
より:「総裁が、和解をしようと決断され、自ら実践されなければ、和解は可能とはならない。」
というのは、人の道、宗教的な道として、当たり前の道理を申し上げているのです。
このことは、言葉が通じる人には、当然の如く通じるように思っていました。
この考え方の、どこが、「総裁の奴隷」になるのか、私には,理解できません。
――――――――――――――
「人の道、宗教的な道として、当たり前の道理」として志恩さまがご紹介くださった考えですが、これは少なくとも雅春先生の御主張では「ない」と判断致します。いかがでしょうか。ところでもしも、「いや、この主張に論拠はある」がご返答でしたらば、ご紹介ください。「聖典何巻の何頁」と申し付けてくだされば当方で、謹写・投稿致します。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板