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Web誌友会 板/2

5513a hope:2015/06/16(火) 10:39:05 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p34 



早稲田の文科に這入ったころ、わたしは十九歳であった。

姉崎正治博士のショーペンハウエルの『意志と現象としての世界』を読んで大いに心を動かされた。

この世界最大の厭世哲学は苦しみが人生の正味で楽しみは虚仮不実の存在であるということを、豊富な例証をあげて説明していた。

その哲学はまことに当時の自然派文学論を証明しているようにみえた。

人生は苦しいのが本体だ!

ますます私の人生観はこういうふうに傾いていったのであった。


早稲田の英語のセッションの講義を片上伸氏から聞いたが、そのセッションの中にウィリアム・ジェイムズ教授の「人生観は人の肝臓のいかんにある」という論文があった。

〝Liver〝 という字を「肝臓」と「生活者それ自身」という意味の両方の意味にかけてあるのであって、結局、厭世的人生観を抱くようになるのと、楽天的人生観を抱くようになるのとは、生活者それ自身の肝臓(血液、健康、元気)いかんにあるので、光明方面を見る人には楽天的人生観が抱かれるし、暗黒方面を見る人には厭世的人生観が起ってくるようなことが書いてあった。

そのころ別の方面から、ショーペンハウエルが厭世哲学を組み立てたのは彼は常に胃病にくるしめられていたからだったと聞いた。

厭世的人生観を抱いている者が胃病にくるしめられるのは当然である。

心が常に暗黒方面を見ているときは、その心の影として血液の循環は不活発になり、胃の腑の活動が鈍って胃病になるのは当然である。

もし今の私がショーペンハウエルに遇ったなら、彼の慢性胃病を治しておのずから彼の哲学的天才をして曠世(こうせい)の大楽哲学を組立させてやっただろうに、惜しいことをしたと思う。


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