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Web誌友会 板/2

3554復興G:2013/12/28(土) 08:39:07 ID:AB6RqYXc

>>3550 :神の子さん様
>>3551:ユタカ様

 ありがとうございます。

 私も見落としていました。「請願」 は請い(乞い)願う、請願(せが)み求めること。

 「誓願」 は、谷口雅春先生が 「伝道とは愛の実践」 の御講話で、

<< 「願」 というのは、如来の本願、四十八願というのがありますがね、あれは何かというと、愛の念願です。それには、「こうしたい」 という一つの理想が含まれている。愛の理想が。

 「すべての人類が救われるまでは、私は仏にならん」

 という法蔵菩薩のすばらしい理想と愛というものが、あの四十八願の中にあってですね、それではじめて阿弥陀如来として法蔵菩薩が成仏せられた。

 われわれが伝道するのは、やっぱり、それでなければならにですね。理想がなければならない。愛がなければならない。………>>

 とおっしゃっている、そのような愛の理想、与える誓いが 「誓願」 であって、求める願いの 「請願」 とはほぼ逆の意味ですね。

 「言葉は神なり」 ですから、気をつけましょう。

 それで、ユタカ様が>>3548

>>鎮護国家=世界平和のお話をありがとうございます。
逆にいうと世界平和=鎮護国家になるのですか??
そうすると、総裁も鎮護国家を言っていて誓願券も言葉は世界平和となっていますが、鎮護国家を通しての世界平和実現となると、私の中では納得できます。<<

 と仰る意味は、簡単に言えば、

 「鎮護国家 = 世界平和」

 ならば、

 「世界平和 = 鎮護国家」

 だから、総裁が 「世界平和」 とおっしゃっているのは、「鎮護国家」 とおっしゃっているのと同じだと受けとって、喜んでいていいのだ。「鎮護国家」 を、そのような絶大な誓願と考えずに、狭いナショナリズムぐらいに誤解する人がいたら残念だから、

 ≪総本山の祭祀の重点を、「鎮護国家」 から 「世界平和」 に移す≫

 と言われたけれども、「鎮護国家」 の看板を外す、などとは言われていませんから、何も目くじら立てて怒ることはない。

 ――ということなのではないかと、私は受けとりました。


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