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Web誌友会 板/2

4647a hope:2014/12/01(月) 10:49:44 ID:cEpBaIdo
>>4646 つづき)

輝くような明るい笑いは人生の不幸を吹き飛ばし、不治症をさえ雲散霧消(うんさんむしょう)する不思議な効果をもっているものなのだ。
われわれが健康でなかったり、不幸であったりするのは自己の魂の中の天照大神が岩戸隠れをしているからであるのだ。
魂の中の天照大神が岩戸隠れをしてしまったら、形の世界はことごとく暗澹として光明を失ってしまうのである。
なぜなら形の世界は心の世界の映像(かげ)にすぎないからである。

諸君もしらるるとおり、日本古典の『古事記』によれば、天照大御神が天岩戸に御隠(みこも)りましたとき、
万物ことごとく暗黒の中に沈水してしまったのである。
その時、心の岩戸を開いて天照大神の出御(しゅつぎょ)を促したところのものは、
天宇受売命の明るい動作に促された八百万神々ことごとく高天原を揺り動かすような哄笑(おおわらい)であったのである。

諸君はこれをたんなる神話だと思うか。
しからず、これは生命の創価作用を説明する深遠なる象徴劇であったのだ。

「生長の家」ではわれわれ人間は皆神の子であるという。
われわれが神の子であるとは、各人は「天照大御神」を各自の魂の底に包蔵しているということである。
言い換えれば皆が天照大御神の御子(みこ)であるということである。

では、われわれは今日から神の子らしく朗らかに生き、各自に宿る天照大御神を岩戸を開いて導き迎え奉り、
この大御神の子たる実をあらわし、われわれは太陽の子だということを実相を現実にあらわそうではないか。

陰鬱にふさぎ込んで明るさを失ってしまうことは心の天の岩戸を閉ざしてしまうことである。
どんな善人でも陰気が心の中に籠っては太陽の魂が閉ざされているのであるから、本当の善人だということはできないのである。
本当の善人は心が明るくなければいけないし、いつまでも暗(やみ)を見つめる心を捨てなければならないのである。
(つづく)


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