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Web誌友会 板/2
3584
:
曳馬野
:2013/12/29(日) 17:03:20 ID:xR0RYWLc
復興Gさん
>>3576
>>3577
での無敵流平法の解説でもって禅の悟りの世界を述べたつもりでしょうか?
>>3453
でこう書きました
●盤珪禅師は或る侍が「剣の達人があなたに切りかかれば避けることは出来ないでしょう」と云ったのに対して、打ってみなさいと云い、侍が一瞬躊躇
したとき、我既に打ったと云いました。坊さんが侍の剣には負けないと云ったのです。
それについて雅春先生は、昭和18年の生長の家誌5月号で、平法無敵流の極意について、「それは理論として面白いし、武道以外の日常生活では
自他一体が常勝の道であることが体得せられますが、剣を以て立会う武道では、どういう姿で現れてくるか想像が付かなかったのでありますが…」
と書かれ、その時点では武道での自他一体の行動はとれていないことを表明されています。これは「私もこの教えで修行中です。」と云われていたことを
裏付けていると思います。ですから「実相の大地に降り立ったのである」と云われた心境が如何ほどのものであるかは判りません。
reiさんは「実相の大地に降り立ったのである」との心境が分かった気がすると書かれました。
わたしは「実相の大地に降り立ったのである」と云われた心境が如何ほどのものであるかは判りません。と書きました。
禅の悟りが生長の家より上か、との問いの答えを書きましても何らの答えは有りません。
ある意味生長の家の悟りについての疑問を呈したのです。
● 私たちはときに、どうでもいいことで争うことがあります。命を取られるほどのことはないからいいではないかと言われればそうですが、
無用の争いはやはり避けたほうがいい。負ければ、心身の消耗が激しく、命を縮めることにもなりかねませんからね。
これが至言ですか?
雅春先生の悟りと禅の悟りについてのやり取りはどうでもいいことなんですね。そしてただ信ずると云うもので、これが生長の家であるとして
示していこうと云うことですか?
つづく
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