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Web誌友会 板/2

1650復興G:2013/06/07(金) 18:41:34 ID:AB6RqYXc

<つづき>

    宗教の極意はここにある

 皆さん、生長の家の極意は、『甘露の法雨』の最初に書かれていますね、「七つの燈台の点燈者の神示」の中にね。「汝ら天地一切のものと和解せよ」という和解の神示。その「和解する」ということは「感謝する」ということだと書いてある、それが極意ですな。本当に感謝ができるようになれば、価値ある生活ができるようになる。

 昔から、「猫に小判」という諺がある。猫は、どれほど小判を積んでやりましても、それは感謝がないから値打がなく、一文にもつかない。感謝をすると、そのものの値打が出る。その値打のもとはいったい何か――金とか物とか、それは私たちが払った生命に対する裏づけですな。その値打を知るものはやっぱり感謝です。

 だれかが紙を一枚くれたとき、「なんだ、紙一枚くらい」という場合にはなんらそこに値打がない。その紙一枚でも「ありがたい」と思ったときに、千枚、万枚とおなじ値打が出てくる。値打を知ることができたら、値打のあるように生かされる。感謝というのは、絶対価値の認識である。宗教は、感謝に始って感謝に終るわけですね。

 ところがその「心」の問題であります。宗教は即生活。お釈迦さんは「天上天下唯我独尊」自分の立ったところが宇宙の中心である、東西南北本来なしと言われた。

 せんだって私の家内の妹が、「兄さん、わたし家を買うので、お忙しいでしょうけどちょっと見てくれませんか」というので、見に行ったところが、つまらん家なんです。
 「こんな家、買ったってしょうがないじゃないか。こんなんだったら、ぼくの方にもっといい家があるよ」
 「ところが兄さん、わたし易者に見てもらったら、方角が、ともかくこっちの方がいいんだって」
 「こっちって、どちらだ」
 「私は西の西の西の、西へ行くほど今いちばんいいんだそうです」
 「そうか。それだったら、ぼくの方に来ないか」
 「だって、兄さんとこは東……」
 「西がいいんだろう。だったらぼくのところへ来なさい。地球は丸いんだから、西の西の西の、いちばん西じゃないか」
 と言ったんですがね。

 東西南北はもともとないもの、自分が立ったところに東西南北を立てているんですね。

 ではその自分とは、この肉体が自分かということ。神様につくられた自分とはいったい何か。神様につくられた自分とは、心でありますね。

 神様は宇宙の一切をお持ちになっていらっしゃるので、私たち人類三十億の一人一人に宇宙の一切を満ちそなえて生命の生みなしをされたのであります。一切(いっさい)であって、一切(ひとき)れではありませんよ。すべて、無限ですね。

 私たちは宇宙の一切をもっているから、各自が男であり女でありながら、そのまま自由自在で、平等であるということです。各自が宇宙をそっくり持っている。この辺からこの辺までという限りあるものではありません。

 いま、私が何千億円のお金を銀行に預けていて、その通帳を持っているとします。私はこの通帳に関しては、いくら引き出そうと意志の自由をもっていますね。かりに私が百円と書いて出せば、百円出してくれる。それでもあんたは何千億円あるんだから、まあ一千万円出してやろうとか、あるいは百万円やろうということはないね。こっちが書いて持って行っただけしか、払い戻してくれない。これが宇宙の法則ですね。

 神さまは、宇宙をそっくり持っていらっしゃるんでしょう。そっくり持っていらっしゃる神さまが、一人一人にそっくりくれると、鉢合せしはしないかと御心配の方もいらっしゃるでしょうけどね、けっして鉢合せしない。それは、太陽系統が何万年運行していてもけっして鉢合せしない、その通りです。
<つづく>


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