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Web誌友会 板/2

3135復興G:2013/10/10(木) 09:17:42 ID:AB6RqYXc

 ユタカさんの掲示して下さった言葉は、>>3119 に謹掲させていただいた第5巻第1章冒頭の

<<   人間は神の子

 人間は神の子である――これが 「生長の家」 の主張する根本自覚で、この自覚を 「中心自覚」 と申すのであります。

 なぜこの自覚を 「中心自覚」 と申しますかといいますと、この根本自覚は円の中心のようなものであって、この中心から外的な一切の善きものが流れ出でるからであります。

 この根本自覚が完全であればあるほど、この根本自覚が強烈であればあるほど、われわれに発現する知恵はいっそう明らかとなり、愛はますます深くなり、生きる力はいよいよ豊富となり、万事における能力は層一層旺(さか)んとなるのであります。>>

 を、別の表現にされた言葉でもあろうかと思われます。

 また、

<< かく、われわれは自己の懐中に、すなわち自己自身のうちに無限の生命力または能力の出口を有するのであります。それだのにわれわれはなぜそれを他に対して求める必要がありましょうぞ。外にこれを求むれば求むるほど自分の内に口を開いている無限能力を忘れることになり、自己の内から溢れ出る無限健康力を忘れることになるのであります。>>
 (24頁最後の行から25頁の前3行)

 そして、

<< 自己の内部に頼り切れ

 ……いろいろの外部的力を借りて自分または他人の生きる力を増加しようと望むことは、自分の懐中に無限億万円をもっていながら他に金を借りに歩くのと同じことです。
 他に金を借りて歩けば、貸してくれた額だけの使用価値はありますから、それは決して無効ではありません。生気術は生気術だけの効力があり、気合術は気合術だけの効力があり、手のひら療治は手のひら療治だけの効力がありますが、ただそれだけです、他の力に依頼し、一時は急場の助けになっても、生命が依頼心を出したというだけその人は今後の生命の発現力が弱るのであります。>>
 (26頁後ろ5行〜27頁最初の2行より)

 とあるテキストのご教示も、冒頭の 「中心自覚」 から出てくることなのですね。

 皆さま、それについて何かご体験やご感想があれば、教えていただきたく思います。

 ありがとうございます。


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